2018年5月19日土曜日

大きく深い鈍さをもて!利口であるより愚直であれ!

大きく深い鈍さをもて!利口であるより愚直であれ!
村上 和雄
Column 2018 No.60

 村上氏は「鋭」の方法よりも「鈍」なやり方を積み重ねることで、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子の解読に成功。世界的な業績として大きな注目を集めました。彼は著書「アホは神の望み」(サンマーク出版)の中で繰り返し述べているのは、こざかしい理屈や常識の枠を超えてしまう器の大きな“愚かさ”の復権でした。

ハングリーであれ、愚かであれ  スティーブ・ジョブズ

 多くの成功者が、自分のことを“…頭の回転が鈍く要領の悪い人間だった。しかしそれが成功へと導いた…”と自分自身を表現しています。そして“その鈍さがあってこそ、難解な問題を諦めることなく、真面目にコツコツと粘り強くやり続けることができた。しかも鋭さに欠けるから、無駄も多く、遠回りで向こう見ずな決断もして、しかしそうこうやっているうちに驚くような発見につながったんだ”…と。

 「愚か」と言うフレーズに出逢って、一番に思い出したのは、トルストイの「イワンの馬鹿」(あすなろ書房)というロシアの民話です。この民話には菊池 寛をはじめ沢山の和訳がありますが、特に北御門二郎氏の訳本は血肉が通っていると思いました。のびのびと愚直に生きるイワンのひととなりがよく現されています。私なりに理解したあらすじをご紹介してみたいと思います。

 「…昔、ある国に一人の裕福な百姓が住んでいました。彼には四人の子どもがいて、息子のイワンは三男でした。イワンには二人の兄がいて長男は権力に憧れ、次男はお金に執着して商いに追われていました。イワンはみんなに馬鹿にされながらも、耳と目が不自由な妹の面倒を見ながら、毎日汗水たらして百姓生活です。イワンは狡猾な兄たちに、たびたび利用されながらも決して争わず、恨むこともなく要求されるものを「いいとも、いいとも」と惜しげもなく差し出します。“また働けば何とかなるから…”と、全くの無抵抗…。彼は骨身を惜しんで働くけれど、お金にも権力にも全く執着がないのです。結果的に兄弟間には争いが起こりません。それを眺めていた小悪魔たちはそれが面白くなく、兄弟三人に取り付いて仲をかき乱そうと謀ります。兄二人は強欲で、私欲を満たすためなら手段を選ばずですから、悪魔の誘惑に簡単に乗ってしまいます。ところがお金にも権力にも全く興味がないイワンですから、悪魔の策略はことごとく失敗に終わります。

 逆にイワンに命乞いをする悪魔から金貨と兵隊が出る便利なからくりを手にします。欲のないイワンですからからくりで手にした金貨も、彼は、遊具・アクセサリーだと思っています。からくりで手にした兵隊は、ただ歌を歌ってくれるものだと理解しています。またまた兄たちに利用されますが、兄たちの振る舞いを見て、金貨も兵隊も人を不幸にすると分かったイワンは金貨づくり・兵隊づくりを兄たちに断ります。(中略)

 偶然な経緯があって、ある国の王様から娘(姫)をイワンの妻に…と望まれます。そこも権力欲のないイワンですから、よく解らないままに王室に婿入りします。王様がお隠れになった日(亡くなられた日)イワンはすぐに自分の王衣を脱ぎ、野良着に着替えて百姓仕事を始めます。妃もイワンに従います。目と耳が不自由な妹も呼び寄せます。しかし国民はイワンが馬鹿だと気付き、賢い人たちはみんなイワンの国から立ち去りました。いわゆる馬鹿な人たちだけが残ったのです。

 そしてお金は誰も持っていません。残った愚直な国民は王様に倣って、一生懸命に働いて自分も食べ、働けない人々にも食べさせます。それからも小悪魔たちの邪魔が入りますが、のれんに腕押しのようなイワン国の人々にお手上げ状態です。イワン国ではお金を貯える習慣がなく、互いに物々交換をしたり、労力でお礼をしたりして生活しています。それで何も困ることはなく充分幸せで満足しているイワン国の人々だから、悪魔が金貨をちらつかせても、何の反応もしません。やがて落ちぶれた二人の兄たちが頼ってきますが、やはりイワンは彼らを養っていきます。「私を養って下さい」と言う人がいれば、誰でもイワンは「よしよし、一緒に暮らしなさい。わしらの所には何でもどっさりあるから」…と受け入れます。ただひとつ、イワン国には習慣があります。手に“たこ”(仕事をすることで擦れる部分に出来た手の傷あと)のある者は食卓についていいが、“たこ”のない者は、人の食べ残しを食べなければならないという…。」

 この作品はロシアのトルストイによって書かれました。トルストイは伯爵家の四男として生まれ、何不自由のない生活でしたが、“人は何のために生きるのか”彼の中に深い迷いが生じてきます。周りの人々の貧しい環境を知るに従い、自分自身の豊かさに疑問と羞恥心を感じ始める。彼はその苦しみに対する答えを、自然科学や哲学の中に真剣に捜し求めました…が、何処にもその答えを見つけることはできませんでした。やがて彼は、真の安らぎは「神への信仰」の中にこそあることを悟ります。そしてそれは無学で貧しい素朴な、額に汗して働く農民や労働者の信仰の中にこそあることに気付き、自身も野に出て田畑を耕し農業に心を傾け、所有地に学校を開くなど、農民の子どもの教育にも力を注ぎ始めます(石田昭義氏のトルストイ略年譜を参照) 

 そんな環境の中でこの「イワンの馬鹿」は生まれたのでした。このイワンの生き方こそがトルストイの理想郷だったのでしょう。訳者の北御門二郎氏も「イワンの馬鹿」の生き方に心酔し、「…わたしはこの世に生がある限り、人類の理想郷である“イワンの馬鹿”のような村の実現に一歩でも近づくよう皆さんと一緒に歩んでいくつもりです…」と語っています。(北御門氏2004年死去)

 今回のコラムは、「イワンの馬鹿」の解説文のようになりましたが、作者であるトルストイ自身がイワンを理想としていた…という実像に触れ、私の中で、文学・哲学の神様的存在であった彼が、急に身近に感じられたことでした。私はこれまで、イワンのような愚直な生き方に心服している多くの賢者・識者がいることに、とても不可思議な気持ちをもっていましたが、彼らは未来を見通していたのだと思います。つまり長い歴史の中で人類は「権力とお金」に惑わされて奔走し、結果的に戦争・テロ・人種差別…等々を生み出してきた…。人類の真の幸せは権力でもなくお金でもない…。イワンのような無欲で無抵抗な生き方が示唆しているその魂と精神こそが、これからの人類に必要なのだ…ということを。

 「頭脳への理詰めなアプローチの結果としての智恵などは、イワンの智恵には、とても及びつかない…」と町田宗鳳氏も語っています。村上氏がいう「アホ」もトルストイが言う「馬鹿」も、学問は無いけれどその愚者の生き方の中にこそ真実があるのだ…と、最高の敬意と賛辞の気持ちをその語句で表現したかったのでしょう。そしてまだ足元にも及びませんが、私もしっかりと自分を生きながら、イワンのようなまっすぐな、愛に溢れる精神性を決して忘れまいと思いました。

 雨ニモマケズ 風ニモマケズ
 雪ニモ 夏ノ暑サニモマケヌ

 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク 決シテイカラズ イツモシズカニワラッテイル
 一日玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタべ(中略)

 東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ
 西二ツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
 南二死二サウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ
 北二ケンカヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ

 ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
 サムサノナツハ オロオロアルキ

 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ クニモサレズ
 サウイウモノ二 ワタシハナリタイ
  
 宮沢 賢治

*次回のコラムは6月20日前後の予定です。

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2018年4月20日金曜日

対人関係のポイントは聞く力にある

対人関係のポイントは聞く力にある
ピーター・ドラッカー
Column 2018 No.59

 ピーター・ドラッカーは、オーストリア出身の現代経営学の基礎を築いた人物で、“マネジメントの父”とも呼ばれており、ビジネスの世界に生きている人々でその名を知らない人はまずいないでしょう。没後10年以上たった今も、その理論は多くの経営者の模範とされています。彼がマネジメントの上で大切にしていたことは、社会・組織の中での「人間」という観点でした。特に人間関係に於けるコミュニケーションを大切にしており、次のように語っています。

話し上手だから人との関係は得意だと多くの人が思っている。
対人関係のポイントは「聞く力」にあることを知らない

過去のリーダーの仕事は「命じること」だが、
未来のリーダーの仕事は「聞くこと」が重要である

 書籍の中では「聞く」と訳されていますが、日本には「聴く」という漢字の語彙があります。彼の言いたい意味は、“聞く”というより、実は「傾聴」という姿勢に近いのではないか…と思います。「聴」と言う文字には、耳と目と心が合わさっています。それはまさに相手(顧客・来談者)のお話を聴くために非常に大切な三つの姿勢です。カウンセリングの場で私も大切にしている姿勢です。

 真摯な目線(まなざし)で相手の気持ちの動きを感じとり、相手が言わんとする事実をで正確に受けとり、私心を脇において、をいっぱいに開いて聴いていく…。すると不思議ですが相手は、徐々に自分の心をオープンにして、本当の気持ちを話してくださいます。…というよりも、相手が語りたい本当の気持ちが流れてくる…と言った方が近いかもしれません。

一般的に「きく」と言う姿勢には幾らか違う意味があります。
・聞く……相手が話している事実の内容を聞きとる
・訊く……相手のことに関して尋ねる 
・聴く……耳だけでなく、心とアイコンタクトを大切にしてハートで聴き取る

 まさに「聴く」という姿勢こそが、本気で聴く姿勢であり、他者を大切にした姿勢なのです。親業講座ではコミュニケーション能力を磨くために「聴き方」や「伝え方」の双方向コミュニケーション(コラムNo10)の方法・理論をお伝えし、訓練(練習)をしていきます。今回のテーマである「聴く」と言う側面は、双方向コミュニケーションのうち“相手を大切にする” 側面です。

私たちは聴く方法を教えられていないが故に聴くことが下手なのだ

 …と、「対話と説得の技術」の著者、ラルフ・G・ニコルス博士は語っていますが、真実だと思います。しかし…「私ね!話し方教室に行っているのよ」と言うことはよく聞きますが、「私ね!聴き上手になる勉強をしているのよ」…はあまり聞いたことがありません。ちなみにアメリカのある土地で「聞き方教室」という公開講座を開いたところ、時間になったが一人の出席者もなかった…という報告を耳にしたことがあります。今の社会では“人の話をよりよく聴けるようになる”…と言うことにはまだあまり価値を置かれていないようです。

 ずっと昔に読んだ、三國一朗氏の「話術~会話と対話~」という本の中に、興味深い一文がありました。「…女の人達が話しているのを聞いていると、小鳥たちが木の枝にとまってさえずりあっている、それと同じで、お互いに好き勝手に口を動かし声を出し合っている。その間に多少の情報のやり取りはあっても、要するに声の出しっこに過ぎません。相手の話を聞いているようには見えますが、本当は、相手の話が一段落するのを、今や遅しと待ち構えているに過ぎない。相手が一秒でも半秒でも話しやめたら、すぐさましゃしゃり出てしゃべり始める。そういう姿勢の連続ですから一見賑やかで楽しそうに見えても、決して会話と言うものではなく、小鳥たちと50歩100歩のさえずりくらべなのです…」

 …思わず笑ってしまいましたが、それぞれが勝手におしゃべりしていて聴く人が全くいない女性の集まり…私もよく出会う場面です。ドラッカー氏も言っているように、未来は“他者の話が本気で聴ける人”つまり“人を大切にし人を生かす能力のある人”が、仕事のパイオニアとなり真のリーダーになっていくのでしょう。また、家庭にあっては、子どもが話すことを親がしゃしゃり出て邪魔することなく、子どもが考えていることを、耳と目とハートで本気で聴きとっていく。それは子どもが自分の生き方に自信を持ち、真の自立に向かえる一番大切な姿勢なのです。

 親業の聴き方 (コラムNo12) を改めてご紹介しましょう。私の講座を受講下さったHさんの事例です。

思春期に入り、少し太っていることをとても気にしている長女。気分が不安定になると叫んで訴えてくる。

長女「あ~ん!すごい太っていやじゃ~!」
母 「太るのがいやなんじゃねえ…」
長女「もうこのおなかいやなんよ~!」(泣きながら…)
母 「いやなんよねえ…」
長女「もういやよ!私ばっかり太っとるけん!」(わ~ん!ベッドで伏せて泣く)
 ~母 沈黙…1~2分~ 長女、がばっと起き上がり
長女「腹筋するけん 足もって!」
母 「いいよ」

<気づき>
聴き方を学んだことで、沈黙することの大切さも知りました。何か言ってやらなければ…といつも言葉を捜していたことが、不自然だったり、余計なお世話に繋がっていたことに気付きました。子ども自身で解決する力があることを信じ、待つ姿勢を大切にしていきたいと思います。

 Hさんがおっしゃってる通りです。子どもは、自分の人生に関することは自分で考える力を持っています。考えを与えすぎると混乱してしまいます。子どもが感じていることを、ただそのまま受け取ってあげて、子どもが自分の人生から脱線しないように、聴くことで援助していくのです。勿論、自己表現(コラムNo11)も大切です。特にお母さん自身が自分の人生を充実していく為にはとても大切なコミュニケーションです。しかし子どもの真の自立は、親が本気で「聴く姿勢」なしには望めないのです。

あなたはいつも原因を訊いても、私の気持ちは聴かない
~邦画「幼な子われらに生まれ」の中の前妻のセリフ~

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と
答える人のいるあたたかさ
俵 万智

*次回のコラムは5月20日前後の予定です。

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2018年3月20日火曜日

その子なりの歩みを許された子どもは、輝いて自分の道を生きていきます

Column 2018 No.58

 ある精神科にお勤めの看護士さんがそっと呟いていらっしゃいました。「…病院に入っている殆んどの人が、子どもの頃からとっても真面目で、きちんと生きてきた人なんですよね…。悪ガキや若い頃に不良をやったというような人は、ひとりも入院をしていませんよ…」と。

 子どもは本来、天真爛漫でなかなか親の思うようにはなりません。そのように自由でのびのび生きていた子ども達が、なぜ委縮していってしまったのでしょうか…。ずっと以前になりますが、不登校をしていたS子さん(小5)にお母さんが訊きました。「どうして行けないの?」と。するとS子さんは答えたそうです。「私、もういい子でいたくないから!いい子をしておくのがとってもしんどいから…」と。S子さんは自分の苦しさに気づいて自分から不登校を選んだのです。

 いわゆる、いい子と言われる多くの子どもは、自分の人生を生きることから脱線してしまった子どもたちです。つまり、周りの人たち(親・家族・先生・友達…)の欲求を満たすことばかりを考えて生きてきたので、自分の人生の喜びや、わくわく感、つまり人生の体験・実感が極端に少なく、周りからは「いい子いい子…」と評価されながらも、S子さんのように、心の中に“何か違う!私じゃない!”と言ったような、もやもや感をもったまま思春期を迎えます。

 そして傷ついた子ども達は、自分軸を取り戻すために、思春期に、多くは問題行動を起こして周りと闘い、心のバランスを取り戻そうとします。いわゆる「反抗期」と言われる、とても大切な癒しの時代を迎えるわけです。反抗の噴出の出方には、外向型と内向型があります。外向型はいわゆる暴言暴力・怠学・夜間徘徊・家出・異性交遊…等々のいわゆる逸脱した不良傾向として表現してきます。内向型は不登校・過食拒食・心身症・鬱…等々、自分に籠る(内に向かう)という傾向で現わしてきます。表現は真反対ですが、いずれも育ちの上での心の痛みを癒さんとする、その子なりの心のバランスのとり方です。

 教師も私たち親も、実は“いい子”が大好きです。「人生は、おまえが考えてるような甘いもんじゃないぞ!」「遊んでばっかり、本でも読んだらどうなんだ!」「それはわがままと云うもんだよ!」「少しは人のことを考えたらどうだ!」…のような正論で、“いい子”の枠組みに嵌めていこうとします。それが強ければ強いほど子どもは、まんまとはまっていきます。教師や親が望む“いい子”像をあげてみましょう。

1. 素直で優しい子
2. 明るくて活発な子
3. 誰とも仲良くつきあえる子
4. 学校の成績がいい子(すべての科目が)
5. 何事にも積極的でしっかりした子
6. スポーツも得意な子‥‥‥‥‥‥‥等々

 こんな神様のような子供が果たしているでしょうか。でもいい子の罠にはまってしまった子は、必死でそのいい子の枠組みに入らなければ…とますます強迫的に思ってしまうのです。子どもの頃から決してこのような完成品は無いのです。子どもは色々な過ちを犯しながら、感じたり気付いたりしながら、ゆっくりと自分軸を育てていきます。自分が本当にやりたいことをやって、自分の欲求を適切に満たしながら、自己実現コラムNo15)に向かって徐々に成熟していくプロセスを、ひとり残らず取っていくのです。

道草は自己実現の王道である  河合 隼雄

何度も取りあげるフレーズですがまさに真実です。母親が「クラスの先生からお宅のお子さんは申し分ありません。忘れ物は一切しないし、勉強も友達関係も問題ありませんし、教師に反抗的な態度を取ることもまずありません。そして素直で優しくクラスのみんなに好かれています…と言われました!」と大満足をしているのですが、私はよく言います。「お母さん、子どもは完成品ではないのです。お子さんはかなり緊張した日々を送っていると思いますよ。出来るだけやりたいことをやらせ、言いたいことを言わせてください」…と。

 いわゆる“いい子”の枠にはまってしまっている子どもは、何でも完全にできなくては自分は駄目なんだ…と受け取っています。しかも失敗を恐れて、臆病・冒険をしない・試行錯誤をしない…といった特徴があります。いつも安全領域で生きています。よって、いつも周りを伺い評価を気にして、相手に合わせて生きることしかできません。つまり自分軸がとても脆弱です。大変ストレスフルな状態で生きています。…それが見かけのいい子の実像です。大人にとって“都合のいい子”を、私たちは無意識に“いい子”と定義づけてしまっているのです。

☆ 20世紀最大の物理学者、アルベルト・アインシュタインは5歳までしゃべれなかった。文字が読めるようになったのは7歳の時。学校はアインシュタインにとってはとても窮屈で、義務教育時代はずっと劣等生だった。

☆ 発明王と称えられたトーマス・エジソンは教師から「こんなに頭の悪い子は初めてだ!学校ではお引き受けできません」と言われ、中途退学を余儀なくされた。

出典:偉人物語(主婦と生活社)

 偉人といわれた人の中には幼少期は結構問題があった…という人は少なくないようです。それは学校や社会という枠組みの中で、本来の彼らの伸びやかな生命力や創造力が、押し付けられる常識や正論にはまり切れず、閉塞状態になり、いわゆる“いい子”の枠組みからはみ出した人々です。そしてその枠組みからすっかり抜け出た後に、彼らの本来の能力が輝き始めたのです。彼らは周りから急がされることなく、ゆっくりゆっくりと自分本来の使命を見つけていったのです。次はアインシュタインのフレーズです。

私の学習を妨げた唯一のものは私が受けた教育である

何かを学ぶ為には自分で体験する以上にいい方法はない

子どもはゆっくりと子どもをやる権利があります。本当にやりたいことをやって魂の喜びを感じる権利があります。試行錯誤し、失敗を侵す権利も、失敗をして落ち込む権利もあります。落ち込みを続ける権利も、這い上がる権利もあります。怒る権利も泣き叫ぶ権利もあります。それがその子どもの人生の体感であり、生きる実感です。

 しかし親は、なかなかそれが信頼できません。“いい子”をやってくれていると安心なのです。私も親ですからそれがよく解ります。親の描いた青写真からどんなに子どもが外れていようと、どれだけ子どもを信頼して待っておれるか…は子どもを育てる上での、親の一番の修行なのかもしれません。

ひきつった顔で最後に母は言う。あなたのためよ。
あなたのためなのよ。俺のためなら黙ってくれ
中2男生徒の川柳

*次回のコラムは4月20日前後の予定です。

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2018年2月20日火曜日

感謝の心が人を育て、感謝の心が自分を磨く

感謝の心が人を育て、感謝の心が自分を磨く
ステイーブ・ジョブズ
Column 2018 No.57

 「ありがとうございます」という感謝の言葉の深遠さは、聖人をはじめ賢者、知識人の多くが語っています。

全てのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、
神があなた方に求めておられることです。  
テサロニケ第1 5章18節

私たちを取り巻くすべての美、気付かれないような美に
感謝の心を持ちなさい。太陽の光、夕焼け、星々、雲、樹木、
そして人々に感謝の心を持ちなさい。
オショウ(インドの宗教者)

感謝の心が高まれば高まるほどに、
それに正比例して幸福感が高まっていく。
松下幸之助

 日本の「ありがとうございます」という“感謝の言葉”の意味合いは、英語の“サンキュウ”を含め、他のどの国の言葉にもきちんと当てはまるものが無い、と言われています。つまりいずれの外国語にも訳されないニュアンスを含んだ“感謝の言葉”なのです。

 「ありがとう」は漢字で書くと「有り難う」となり、意味は“有り難し”、つまり「今、あなた様に親切にして頂きましたが、あなた様のこのご親切は、決して当たり前に有るものではなく、有り難き(有ることはとても難しい)ことなのです。“有り難きことなのに、有り難きご親切、誠にありがとうございます”」…というのが“ありがとうございます”の本来の意味合いなのです。

 こう考えると、私たちの「ありがとうございます」という“感謝の言葉”には深い精神性とエネルギーが宿っているように思います。コラム52で感謝の奇跡を取り上げましたが、“有り難きこと”に感謝している人々にとって、その人に起き湧くことは、決して奇跡では無く、当然のことなのかもしれません。

 世界一過酷なモータースポーツ競技と言われるダカール・ラリーで、世界最多連続出場33回。世界最多連続完走20回…という二つのギネス記録を持つ、現在もなお現役の菅原義正氏(76歳)のメッセージです。

 「…僕は“感謝”という言葉を大切にしていましてね。スポンサーさんは勿論ですが、車や大地にも感謝しています。一生懸命走ってくれてありがとう!場所を使わせてもらってありがとう!…って。そうすると教えてくれるんです。この先もう少し行くと深い川があるとか、溝があるとか…。勿論自分がしっかり目を開けて周りを見ていないとダメですよ。感謝の気持ちをもって、よく観察していると、大地がそうやって教えてくれるんですよ。逆を言えば、感謝の気持ちがないと完走できない。必ずしっぺ返しが来ます…」(出典:月刊誌“致知”)

 菅原氏のこのメッセージが、まっすぐに私に伝わってくるのは、私自身これまで生きてきて、人・動物…は勿論、宇宙そしてすべての自然、すべての物体…等々にも実は“意識”があるのではないか…という確信に近いものを持っているからです。その存在に、私の心(意識)を向けて、愛の言葉を掛けたり、感謝の言葉をかけると、菅原氏と同様、確かに何かしら答えてくれた…という体験を幾度もしているからです。

 天才的なプロ野球選手であり、現在米大リーグ選手として目覚ましい業績を伸ばし続けているイチロー選手。彼がバッターとして立つとき、背筋をまっすぐに伸ばし、右手でバットを垂直に立てる…。彼のその動作を見ると、彼の次の言葉をいつも思い出します。

 「このバットの木は、自然が何十年もかけて育てています。僕のバットはこの自然の木から手作りで作られています。グローブも手作りの製品です。一度僕がバットを投げたとき、非常に嫌な気持ちになりました。それからは、自然を大切にし、作ってくれた人の気持ちを考えて、僕はバットを投げることも、地面に叩きつけることもしません。プロとして道具を大事に扱うのは、当然のことです…」

 バットを垂直に立て、そのバットを真摯に真っすぐに見つめる…彼のその特殊なポーズは、彼の“バットへの感謝の儀式”なのだ…と、私は受けとめています。感謝の思いや感謝の言葉には言霊(言葉に内在する神秘的な力)が宿っていると言われます。彼の、野球への無限とも思えるエネルギーも、そして業績も、レーサー菅原氏と同様、万物への敬虔な感謝の姿勢が底辺にあるからではないか…と、私にはそう思えるのです。

 最後に私の親業講座の受講者Yさんの事例を、ご本人の了解のもとにご紹介致します。

 「…講座から帰宅して、その夜、思い切って夫に、これまでの感謝の気持ちを伝えたのです(20年ぶりにビールのお酌もしたりして)すると、夫は大変驚いていましたが、翌日メールで“20年間の仕事や職場での苦労がすべて癒されたような気がしました…”と言って、とても喜んでくれました。夫への感謝のメッセージは…気恥ずかしくて、思ったことの半分も言えなかったのですが、こんなに喜んでもらえ、気持ちがストレートに伝わるとは…今さらながら驚くとともに、親業に出逢えてよかった!としみじみ思いました…」

素敵な夫婦関係の決め手は「ありがとう」のたったひとこと
斉藤 茂太


*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

2018年1月20日土曜日

あきらめる一歩先に必ず宝がある

あきらめる一歩先に必ず宝がある
ナポレオン・ヒル
Column 2018 No.56

 私たちは、諦めたことで、如何に沢山の宝を見過ごしてきたことでしょう。“あきらめる一歩先”ですから、諦めてしまったら、そのわずか“一歩先の宝”には出逢えないまま…ということになります。トーマス・エジソンもその昔、同じ意味のことを言っています。

人生に失敗した人の多くは、あきらめた時に、
自分がどれほど成功に近づいていたか気付かなかった人たちだ

 私たちが諦めてしまうのは、一歩先に宝がある…ということを確信できないことに問題があるようですが、確信できない理由の一つは、実感のある“成功体験”が稀薄だったということがあげられると思います。その結果“自分は成功できるはずがない…”という強い“思い込み”が生まれて、うまくいかないと判断すると、すぐに諦めてしまう。その思い込み…とはいったい何でしょうか。こんな逸話(どうやらこのお話は事実らしいです)が記憶に残っています。

 「…本気で闘ったらどんな動物をも震え上がらせるほどの力を持った大きな象が、簡単な杭につながれたまま、サーカス場からまた新しいサーカス場へと移動していく姿。何の抵抗もしない。飼いならされたとはいえ、大きな木を根こそぎ引き抜ける力がある筈の象が、どうして逃げようとしないのか…。それは実は子象のときに、子象にとっては太く頑丈な杭に繋がれた。子象は逃げようと、来る日も来る日も、もがいてそしてもがいてみたが、ついに杭を引き抜くことは出来なかった。ある日子象は、逃げることは絶対不可能なんだとすっかり諦めてしまった。その日以来、簡単な杭に繋がれても“杭は絶対引き抜けない…”という観念(思い込み)が刷り込まれてしまって、大人象になっても再び挑戦をしようとはしない…」という物悲しいお話です…。

 私たちもこの子象と同じように、幼い頃から、失敗したこと(貴重な失敗体験)に対して、親や周りの人々から“あなたは未熟”“あなたは頭が悪い”“あなたは何をやってもダメ”…こんなニュアンスを含んだ言葉を投げかけられて育ったとしたら、実は事実ではないのに“自分は無力なんだ”…と思い込み、この子象と同じように、自分で自分の足を、頑丈な鎖で縛ってしまうのです。

人生において我々が囚われている鎖は、我々が生み出したものに他ならない
チャールズ・ディケンズ

 もう十分に心も身体も大きくなったのだから、もう一度踏ん張ってみたら、その鎖を簡単にもぎ取ってしまうことができるはずなのに“私は無力なんだ…”の思い込みが、無意識にブレーキを掛けてしまい、それこそ“宝の一歩手前”で諦めてしまうのです。思い込みは幻想だということに気付かないままに…。

 私たちが容易に諦めてしまうもうひとつの理由は“視野の狭さ”があげられます。今年のお正月は子ども達と共に、九州のハウステンボスで過ごしました。夜、皆んなで、久々に観覧車に乗ってみました。観覧車からは、美しいネオンに輝いたハウステンボス全体の光景を一望のもとに眺めることができました。“私たちが宿泊しているホテルはあそこだ!”“今見てきた所はあそこだね!”…高い所から視野を広げてみると気付かなかったことに気付きます。“あの道の方が早くいけそうだ”“あの道は行き止まりだね”…というふうに。視野が広がるとあの道この道と全体像がつかめるので、例え迷っても、簡単にあきらめる気持ちにならないものです。

 1980年代のアメリカ映画「いまを生きる」(邦題)の中で、赴任してきた教師役のロビン・ウイリアムズが、厳格な規則に縛られて、不自由に生きている生徒たちに伝えたメッセージが、とても印象に残っています。「さあみんな、机の上に飛び乗ってみろ!どうだ!机の上に乗るだけで世界は違って見えないか!」…
生徒たちは恐る恐る机の上にあがります。こうして次第に教師の感化を受けていった生徒たちは、窮屈な縛りの生き方から、徐々に自由な見方・生き方…に大きく目覚めていきます。

 “君たちは生きたい人生を生きる権利がある。広い視野で、意識をぐっと広げて物ごとを見れば、解決策はひとつではない。諦めるな!本当に生きたい人生を選んで生きていくんだ!”…ということを教えたのです。そして“少し離れた位置から自分を見たら、今いる自分の位置が明確になり、冷静に周りが判断できる。取るべき行動も見えてくる…” つまり自分を客観的に見る…ことの大切さをも、この教師は伝えたかったのだと思います。

 “自分を客観的に見る”ということは、自分はこんな事態に陥ると、どんな感情が起こり、どういった行動をとる傾向にあるんだろう…と、価値判断をすることなく、自分の中に起き湧く感情や行動の、事実だけを真っ直ぐに見る姿勢です(コラムNo7)。つまりそれが「自己理解」あるいは「自分を知る」ことに繋がっていきます。 自己理解が深まれば深まるほどに、自然や人間の在り方の摂理が理解でき、世界(選択肢)は無限に広がっていくでしょう。だから客観的に自分を見れる人は物事を簡単には諦めないのです。

 しかし、人生には“分かれ道”もあれ“行き止まり”もあります。人間の力ではどうしようもないこともあり得ます。その時、その状況を “人生とはそのようなものである”…と、そのままに受け入れてみる。それが“諦念”であり、単なるあきらめとは違います。諦念…を辞書で引くと「道理を悟る心、また諦めの気持ち」とあります。いかなる時も自分自身の勘を信じて、慌てず決して諦めず…突き進んでいくのか、一端立ち止まるのか、撤退するのか…を選択していく。その撤退は決して“あきらめ”ではなく、諦念であり、それは“道理を悟った”人の、深い智慧から生まれて来るもの…と理解しています。

人は常に前だけには進めない。引き潮あり、差し潮がある
ニーチェ

あきらめない! 一歩ずつ…
三浦 雄一郎

*次回のコラムは2月20日前後の予定です。

2017年12月20日水曜日

父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい(その3)

父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい
ヴィルヘルム・ブッシュ
Column 2017 No.55

 前々号より、父親という観点から同じテーマで書いていますが、このシリーズは今回で一応終わりです。前回までに書いたことを少し纏めて今回に入ります。

Ⅰ.どんな形であれ、父親もしっかりと子どもに係わっていくコラムNo53

 思春期に入ると、親が子どもにどうかかわったかの結果が出てきます。しかし思春期に入っていても、成人期に入っていても、そこから子どもに正直に関わっていくことで親子関係は違ってきます。

Ⅱ.“父親の役割”“母親の役割”にこだわらず、ひとりの人間として正直に子どもに接していくコラムNo54

 “ひとり一人の親の中に父性と母性を”…親業が大切にしている視点です。父親だから、母親だから…ではなく、それぞれが一人の人間として、自分の感性を信じて、正直に子どもに接していきます。

Ⅲ.正論は子どもを追い込みますコラムNo54

 正論は子どもの心に届かないばかりか、子どもの心を追い込みます。人間的な正直なお父さんで、本当の気持ちを伝えましょう。それでこそ子どもの心と繋がれるのです。次からが前回の続きです。

Ⅳ.仕事だけが人生ではありません。生きて実感することこそが人生です

仕事だけが人生ではありません。生きて実感することこそが人生です

 ある父親の言葉です。「…自分は会社の仕事でいっぱいいっぱい、エネルギー切れの状態で帰宅します。だから子どもに邪魔されたくない…。だからと言って子どもに寂しい思いをさせている負い目もあって、気になる子供の行動を正面から叱ることもできないです…」と。

 多くの父親は家族のためにという大義名分のもとに過酷なほどに働いています。ほんとうに家族のためなのでしょうか…。仕事の実績で、或はいい地位に就くことで、自分の価値を無意識に認めようとしていることはないでしょうか。また、沢山の仕事を持ち込んでいないと、自分に価値が無いような仕事依存傾向に陥っていることはないでしょうか。

 また子育てや家事に孤軍奮闘している妻の大変さや、夫の不在が多い妻の寂しさ・虚しさ…等々に気づいている夫はどれだけいるでしょうか。たまに在宅していても、夫の仕事延長上にある不機嫌な雰囲気に辟易している妻や子ども…。父親不在であるがゆえに起こる子どもの問題…等々。

 そこまで仕事にのめり込むことが、本当に家族のためと言えるのでしょうか。しかし父親にも言い分があります。“…せっかくの休みでも家族の話題の中に入れない…家の中に自分の位置がないんです…。そのやりきれない孤独感がなおさら仕事に向かわせるのだ…”と。

僕は「家族力」を日々高めていくことを強く認識しています。
家族や一番親しい人との関係を大切にしていくことが、結局
自分の人生に最大の効果をもたらすと信じているからです。
武田 双雲

Ⅴ.父親も人生を楽しむ権利と義務があります

 両親の離婚を経験した21歳(学生)の一文です。「…両親が、父と母である前に、一人の人間として生き方を確立し、人生を楽しむことこそが何よりも子どものためになると思います…」(ある投稿欄より)

 楽しむことの大切さを子ども達は分かっています。楽しむことこそが機嫌のいい父親、機嫌のいい母親になれるためのポイントだということを知っているからだと思います。確かに機嫌のいい両親のもとで育った子供は、精神的にもとても安定し、健康です。ある受講者Nさんのご主人様からずっと以前こんな一文を頂きました。

私のやりたい10項目の実践です(こんな日にしたいトップ10)
 ①だらだらする日 ②よく眠る日 ③映画を観る日
 ④ハワイ気分でのんびりする日 ⑤日曜大工をする日
 ⑥何かたくらむ日 ⑦ドラムをたたく日 ⑧本を読む日
 ⑨皆でわいわい酒を飲む日 ⑩バイクでドスドス走る日

 心が喜ぶことを果敢に実践していらっしゃるからでしょう。本当に機嫌のいいお父様だったのを記憶しています。男性も一人の人間として楽しむ権利があります。それは何よりも、自分の幸せの為であり、その結果まわりの人々、とりわけ子どもを幸せにしていくのだ…という側面からいえば、楽しむことは“義務”である…とも言えないでしょうか。

 仕事の合間のひとときに、心をふっと緩めてみる…。若い頃からやりたかったことを、今からでも思い切ってやってみる…。“そんな時間ないですよ!”という反論が聞こえてきそうです。でも、人生ほんとうにそれで終わってもいいのでしょうか。

Ⅵ.子どもは父親の後姿を見ています

 ある主婦が、投稿欄にこんな一文を寄せていました。
 「大酒のみで頑固者だった父を、小学生の頃の私はとても疎ましく思っていた。五年生の夏休み、母に頼まれて、父の働く鉄工所へ弁当を届けたことがあった。歩いて20分もかかるので、渋々出かけた私は汗だくになってしまった…。簡単な作りの工場に入ると、火のような熱風の中で父は裸で働いていた。日に焼けつくトタン屋根の下、溶鉱炉の前でスコップを持った父は、火と熱風にさらされ、埃と汗にまみれて真っ赤だったのをはっきりと覚えている…。父の働く姿を初めて目にした帰り道、私は少しも暑いとは思わなかった。あんなところで一日中働く父を、とても偉いと思った。酒飲みだろうが、頑固だろうが構わないと思った…」

父は、私に生きるすべを教えはしませんでした。
生きざまを見せてくれたのです
クレランス・バデイトン・ケランド

しかし、今の時代、親の働いている姿を子どもに見せることは、かなり難しい時代になりました。だからこそ綺麗ごとではなく自分の生きざまを、正直に本音で子どもや妻に語っていくことが大切な時代とも言えます。語らずして相手に理解して貰うことは難しいのです。いっぱいいっぱいで帰宅して、不機嫌に家族に接したり、酒やテレビで紛らわせていたら、孤独地獄に陥るしかありません。他者と繋がる為には、やはり本音のコミュニケーションが必要なのです。本音とは、相手のことを語るのではなく、自分の思いを伝えることです。

 コラムNo54で触れましたが、その為にも時には仕事から離れて子どもと遊んだり、やりたいことをやって人生を楽しみ、日々を実感して生きてみることが大切です。すると自分の心の位置が分かり、本当の気持ちが見えてきます。すると自分の本音が自然に語れるようになり、人と繋がれるのです。仕事だけが人生ではありません。生きて実感することこそが人生です。

*次回のコラムは1月20日前後の予定です。

2017年11月20日月曜日

父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい(その2)

父親になるのは簡単だが、父親たることはなかなか難しい
ヴィルヘルム・ブッシュ
Column 2017 No.54

 前回は、私自身が仕事を通して長年感じてきたことを、“父親”という観点から書いてみました。次のⅡからその続きです。

Ⅰ.どんな形であれ、父親もしっかりと子どもに係わっていくコラムNo53

 子どもと係わることで、子どもの心としっかり繋がります。子どもはあっという間に大きくなります。だからこそ、お父さんも、今日の子どもとの係わりを“一期一会”と受け止めて大切に…。

Ⅱ.“父親の役割”“母親の役割”にこだわらず、ひとりの人間として正直に子どもに接していく

 「親業」の理念のひとつですが、一人ひとりの親の中に“父性と母性”の双方を!という捉え方コラムNo34をしています。父親としての役割、母親としての役割(例えば叱る役は父親・守る役は母親)に捉われず、一人ひとりの親の感性を信頼したコミュニケーションを大切にしています。子どもの行動を見て、ここでは“黙って見守ろう(母性)ここでは“きちんと伝えておこう”(父性)というふうに、父親も母親も自分の気持ちに正直にそれぞれが対応していきます。だから片親であっても子どもはちゃんと自立へと導けるのです。

 中1のH君は、学校に行けなくて一日中家にいるのですが、昼夜逆転もあって、このところ父親と殆んど会うことがありません。ある日のこと、廊下を歩いていたら、ばったりお父さんに逢いました。H君に緊張が走りました。近づいてきたお父さんは、H君の両肩に手を置いて、「おっ!Hかあ!久しぶりだな!元気か!」と言ったのです。他には何にも言いませんでした。その日のカウンセリングでH君が言いました。「僕は父に怒られると思っていた。でも父はぼくの肩を強くつかんでそう言っただけでした。僕は嬉しくて、不思議ですが凄い元気が出てきました…」と。お父さんは、学校に行けないでいるH君をせかせることなく、自分の感性を大切にして、包み込む“母性”で自然な行動をされたのです。

Ⅲ.正論は子どもを追い込みます

 ある高校生の男子が言いました。「こっちの言い分は一切聞かないで、父なりの正論を押し付けて教育したつもりでいる。いつもやりきれなさが残る…。いつかし返しをしてやりたい気持ちがあるが、正直言ってもういい!係わりたくない!」…と。父性の「叱る」背景にも、母性の「受容」という裏打ちが無ければ、子どもには伝わらないし、恐れで動くことはあっても、自分から自主的に動くことは難しいのです。つまり自立には向かいにくいのです。

 ずっと以前、世間を震撼とさせるような事件を起こした子どもが言いました。「うちの親は仮面をかぶっていた…」と。おそらく彼の親御さんも“正論”で子どもを教育されたのでしょう。「~すべきだろう!」「それは世間には通らないだろう!」「世の中はこういうもんだ!」正論は一般論を語るだけで、親の本当の気持ちは全く見えません。それを“仮面をかぶっている”と、彼は表現したのです。

 しかも正論は理路整然としているので、子どもからしたら、反論の余地がありません。言われていることはもっともだ…でも…でも…と、子どもは自分のやりきれない感情を吐き出せない…。親の言う通りになるので、親にとってはとても“いい子”ですが、子どもは絶望的な感情を心の中に鬱積していくことになります。その上、頭レベルで生き易く、失敗を恐れ、危険を侵さず、自分の人生を実感して生きることが難しくなります。それは子どもの心の中に、壮絶なストレス・葛藤を起こしやすく、その結果、世間を驚せるような事件に繋がることも多いのです。

 次の一文は、正論の父親と子どもの、典型的なやり取りの一部です(伊藤友宣著「家庭という歪んだ宇宙」より抜粋)

私(父親)が“夕食を食べろ!”と声をかけたのがきっかけで、息子はごたごた難しいことを言い始め、バトミントンのラケットで壁を叩き、テーブルを叩き始めた。

子「三年間をどうしてくれる!」
父「返せるものなら返してやりたいよ!過ぎた年月がどうしたら返せるのや!お前も、もういい加減に同じことを繰り返すのはやめないか!」
子「三年を返してくれたら言うことをやめる!」
父「ばかなことを言うな!時間は戻らんわい!」
子「返せないで済むと思うのか!」
父「いったいどうしろっていうのや!気のすむようにしてやれることがあるならそうするさ。それを言えよ!」
子「へっ!今さらどうしろって?えっ?ははは!今頃それを尋ねるくらいなら三年前に何で~塾に強制的に行かせたんや!ヤマダ(塾の講師・仮名)の言うことを信じて、我が子の言うことを認めなかったのはお前やないか!親か、それでも!」

 …延々と言い言い争いは続き、さらに最悪のコミュニケーションにまで発展します。もしこの父親に適切な発信能力(父性)と、子どものやりきれない気持ちを理解する受容能力(母性)があったら、おそらくここまで破壊的コミュニケーションには至らなかったでしょう。

 子どもの「三年間を返せ!」の言葉の裏にある、子どもの複雑な気持ちを父親が受けとめられたら、「そうか!この三年間は、本当の自分の道を生きてこれなかったんだなあ…。だから三年間を返せ!と言いたいくらい悲しくて、悔しくて、つらい気持ちなんだなあ…」と言ってやれるでしょう。それでも長年ため込んできた子どもの悔しさ・苛立ちは、そう簡単には治まらず、次々と浮上してくることでしょう。しかしそれをしっかり受け止め続けていけば、やがて子どもの気持ちは必ず落ち着いてくるのです。過去は戻っては来ないことは、子どもは誰よりも分かっている。ただ辛かった気持ちを解かってもらいたいだけなのですから…。

 一方「それでも親か!」と言われて、親の心の中に、無力さや、哀しみが湧いてきたなら、それを正論で挑戦的に反応するのではなく、自分の弱さや惨めさを思い切って本音で語ってみるのです。子どもは親の正論に対しては何処までも挑戦してきますが、親の本当の気持ち・本音に触れると、“もう一枚脱げ”…とは決して言わないのです。仮面を脱いだ親には脱帽するのです。あなたを許す日が必ず来るのです。しかし“本音を語る”ということは父親にとっては、本当はとても難しいことです。だから訓練がいるのです。

 その為には、時には仕事から離れて、子どもと遊んだり、もっともっと自分の心が喜ぶことや、やりたいことをやって人生を楽しみ、日々を実感して生きてみることが大切です。すると自分の心の位置が解り、自分の本当の気持ちが感じられるようになってきます。すると自分の本音が、自然に語れるようになります。そうなった時初めて、子どもと繋がれ、妻と繋がれて、お互いに親密な人間関係が組めるのではないでしょうか。仕事だけが人生ではありません。生きて実感することこそが人生です。


*次回のコラムは12月20日前後の予定です。次回も続いて事例を交えながら父親の生き方を探っていきたいと思います。