2019年2月20日水曜日

病気は「治す」ものではなく「治る」ものだと考えています

病気は「治す」ものではなく「治る」ものだと考えています
ウルリッヒ
Column 2019 No.69

 先般、大きな仕事が終わった翌日、私の唯一の持病である「不整脈」が久々に起こりました。そんなに頻繁には起らないので、助かっていますが、いったん起ると長時間続き、普通の歩みであっても30メートルさえ、正常には歩けません。しかし、身体というのはとても不思議なもので、仕事がある日は、全くと言っていいくらい起らず、ほっと一息ついたときなどに多くは起るのです。

 テーマにあげた、医師であるウルリッヒのフレーズに、私はとても心惹かれました。実はこのフレーズには続きがあります。「…波動が調整されて、心身の生命力が高まれば、自然に治るのが病気です…」…と。 「不整脈」を病気とまで言わないまでも、私にとっては辛い症状です。ウルリッヒのフレーズは抽象的ですが、“きっとそうだろうな!”と、妙に感性で納得したのでした。ナイチンゲールも「病気は自然の修復過程…」と言っているのは有名です。

 不整脈に見舞われたその日、その症状と共にいながら、“これはどこから来たのだろう…”と、ふっと感じていました。多くの病気はストレスが原因…と言われるのが一応定説になっています。ではそのストレス…はどこから?…そのように気持ちを追いかけていたら、まざまざと私の生い立ちが脳裏に甦ってきたのです。

 いつかも母のことをコラムに取り上げましたが、あまり体が丈夫ではない母が、田舎の大家族に嫁ぎ、朝から晩まで休む暇もなく孤軍奮闘していました。朝は4時に起きて宵が過ぎるまで働いていました。料理上手で手抜きはしませんでしたし、私たちの衣服も多くは母の手作りのものでした。しかし彼女から出ている雰囲気は、いつも寂しげで哀しみそのものでした。私は幼い頃からその母をじっと見つめていたような気がします。その母は遂に病に倒れ、51歳で逝きましたが、今思い出しても、幸せそうな顔をあまり思い出すことができません。

 ストレスフルな母を見つめながら、私はわたしの幼い心に、日々ストレスを、たたみ続けていたのでしょう。あの場面もこの場面も、“母が可哀そう…”と、我がことのように、心を痛めていたなあ…と。母の哀しみが幼い私の哀しみとなっていたことが、突き上げるように思い出されてきたのです。そしてそれを黙って耐えてきた自分自身への愛おしさが、一気にこみあげてきて…しばらく子どものように泣きじゃくっていました。

 忘れたふりをして、許したふりをして、私はここまで多くの哀しみを抑圧してきたんだなあ…と。可哀想な母には言えなかったけれど、その頃、既に幼い心臓に異変を感じたこともあったな…ということも思い出したのです。長い月日をかけて、そのストレスに気づかないまま習性となってしまった観念・想念が潜在意識に固着してしまい、顕在意識では忘れていても、その固着した観念に微妙に足を引っ張られていたんだなあ…ということに、あらためて気づいたのでした。

 しかし、不整脈という症状を通して、いま私に来たこれらの気づきこそが、ウルリッヒの言う“波動が調整される…”チャンスであり、そのチャンス(気づき)を生かしていくことが、私のこれからの“心身の生命力を、高めていく”ことに繋がり、病が癒される方向に向かうのであろう…”と。 

自分の意識に無いものをあなたはコントロールすることは出来ないのです。
あなたが意識していないものに、あなたは躓(つまづ)いてしまうのです
タデウス・ゴラス

ゴラスが言うように、私は自分の今のストレス状態にも、またストレスが培われてきた原因にも充分に気づかず、躓いていたのでしょう。その日以来、私はちょっとしたストレス状態にも気付こうと思うようになりましたし、対処の仕方もかなり見えてきました。過去から今に繋がる想いの習性・生活習慣…にきちんと気づき、優しい目で見つめるようにもなりました。しかし真摯に対峙はするけれど、決して闘わない。辛かった感情を感じては、優しく掌に載せ「もういいよね…」とその都度、手放していく。そして、わたしの魂が喜ぶことをいっぱいやって、さらに気持ちを満たしていきたい…と。

同じ朝はめぐってきません。私は毎朝、
ドキドキしながらカーテンを開けています

このフレーズは、当時88歳の現役モデル、ダフネ・セルフが執筆した「人はいくつになっても美しい」からの引用です。“同じ朝はめぐってこない”…過去は過去! 今の正直な気持ちを感じ受け入れながら、そして解き放ちながら、私も新しい朝を、わくわくドキドキしながら迎えたいと思いました。

 一方、病を持ちながらも、病とうまく折り合いをつけながら、ユニークな視点で生きている人のメッセージにも魅せられます。

痛風・喘息、ほかに7つほどの病気にかかっているが、
それ以外はどこも故障はない
シドニー・スミス

 英国の文筆家である彼のこのユーモラスな感性に、心が広がっていくのを感じました。どんなに辛い状態の中でも、こんな視点を持てる人があるということに感動を覚えます

健康な人には病気になる心配があるが、
病人には回復するという楽しみがある
寺田寅彦

*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

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2019年1月20日日曜日

障害は「個性」です

Column 2019 No.68

 障害は個性である…これは親業訓練協会“前理事長”であった近藤千恵が大切にしていた視点でもあります。“「個性」だからこそ親業的な対応で、その個性をつぶさないで大切に育ててください…”と。

 私の講座を受講下さったM・Nさんの一文です。

「…私の長男はアスペルガー症候群です。相手の気持ちが解りにくく、自分の気持ちも言葉にすることが苦手な長男を、どうサポートしていくのがいいのか悩んでいました。親業講座を受講し、能動的な聞き方(積極的傾聴法・共感)を取り入れていくと、本人が少しずつ自分の気持ちを言語化できるようになり、今では自ら表現できるようになりました。…(中略) 今までは“コミュニケーションがうまく取れないのはアスペルガーの特徴で仕方ない”と、半ば諦めていました。しかし、諦めなくていいんだ!この聴き方を続けていくことで、長男は自己理解も他者理解も出来るようになるんだ!…と、一筋の光が見えてきました。…」

 “発達障害”というネーミングは、平成17年に発達障害者支援法が施行されてから特にクローズアップされてきました。自閉症そして一部自閉症の枠組みに触れるとされる、広汎性発達障害、AD/HD、LD、アスペルガー症候群…等々のように細かく分けられ、元気のよすぎる子、集中力に欠ける子、落ち着きがない子、変わった言動がある子、困った行動をする子…などが、その範疇に入れられるようになりました。(“自閉症”の症名はすでに古くからありました)

 実はこれらの診断は、医師も難しい分野と言われており、その結果、育てにくいと言われる多くの子どもが、大まかに「発達障害」の枠に組み込まれてしまっていることに、私はいささか疑問を感じています。しかし幾らかの親御さんは「私の育て方に問題があってこんな難しい子になった‥と罪悪感で苦しかったのですが、“脳機能の発達が関係する障害”…と聞いてむしろほっとしました」と言われる方も確かにあります。

 私は長い間、カウンセリングの仕事もしていますので、「発達障害」の範疇にあるという子ども達にも逢ってきました。その子たちに逢って感じることは、その多くの子ども達が、とても美しく、深く澄んだまなざしを持っているということです。…なんて純粋なんだろう…と、心打たれるほどです。私には“障害”に感じられないのです。

 私はお母さま方によく伝えます。「このお子さんは、とっても高い精神性をもって生まれてきています。お母さんがこの子から学ぶことも沢山あると思いますよ。特別大切に、なるべく傷付けないように育ててくださいね」…と。あるお母さんは「ほんとにそうなんです。手はかかりますけど、子どもから、驚くようなことを言われて気付かされたり、教えられることが沢山あるんです。この子に出逢わなかったら今の私は無かったと思います」と話していました。

 今回は、会話ができない重度の“自閉症”という症状を持っていながら、パソコンや文字盤ポインテイングによって会話が可能になり、本の出版に至った東田直樹君を紹介したいと思います。沢山の本が出版されていますが、彼が中高生の頃に書いた「僕が飛びはねる理由」シリーズの中から“発達障害”と呼ばれる子ども達が、本当は、何を考え行動しているのか、その真実が書かれているので、その一部を紹介したいと思います。

「僕は今も人と会話ができません。自閉症という障がいを抱えて生きています。…この社会は沢山の人々で構成されています。その中で自閉症者も生きているのです。そのことを少しだけ気にかけて下されば、自閉症者にとって今よりずっと生きやすい世の中になるのではないでしょうか」

「僕の口から出る言葉は、奇声や雄叫び、意味のない独り言です。僕が普段している“こだわり行動や飛びはねる姿”からは、僕がこんな文章を書くことは誰にも想像できないでしょう…」 

「特に困っているのは、本当の自分を解かってもらえないことです」

「僕が飛び跳ねることの理由には、手足の位置がわかることによって、自分の存在が実感できること、空に向かって気持ちが開くことなどもあります。空に向かって気持ちが開きたくなるのは、人では、僕の気持ちを受け止めきれないと思っているからです」

 自閉症をはじめ、発達障害と呼ばれる子ども達の多くは、確かに表向きには、奇異な行動や、理解できにくい“こだわり言動”が多く現れますが、しかし実は、こんなにも彼らには、自分の世界や周りの世界が、鮮明に見えているのです。真実を見通すまなざしをもっているのです。言葉にはできないけれど、精神性の高さ、深さを持っているのです。

 それだけに、発達障害の子ども達をどうするか…という外側からのアプローチだけではなく、彼らの内面にある真実や、葛藤、哀しみを解かってあげようとする、冒頭に紹介したM・Nさんの例のように、内面へのアプローチがとても大切に思います。障害と見えていても、彼らはまさに正常なのですから。

 その方法として親業が大切にしている能動的な聞き方(積極的傾聴法・共感)<コラムNo12No42>は、とても役に立つと思います。 語りたくても語れない内面の本当の気持ち…を汲みとって、言葉にしてあげたり、共感したりしていくことで、やがてその子のハートや魂に触れていくことができるでしょう。それは,彼らの、途方もない孤独感と共にいてあげられる方法でもあり、それを解放してあげる方法でもあります。東田直樹君はその辺りの願いを率直に表現しています。彼の真実を紹介して今回のコラムを閉じたいと思います。

「つらい気持ちはどうしようもありませんが、ひとりではない…と思える瞬間がぼくを支えてくれます」        

「ぼくがパニックになった時、“一人になってクールダウンしたほうがいい”という人もいます。…人それぞれかもしれませんが、ぼくはそんなとき、ひとりになりたくありません。パニックになった時も傍にいてくれて、手を握って僕の気持ちに共感してくれるとうれしいです」

「答えられない時には、僕が答えられるまで待ってください。答えられない時には…こういう気もちなのかなと、僕の思いを代弁してくれると嬉しいです。たとえその答えが違っていても、僕の気持ちを一生懸命に考えてくれることは、僕を大切に思ってくれていることだとわかるからです」

*次回のコラムは2月20日前後の予定です。

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2018年12月20日木曜日

失ったものより、今あるオトクを捜すようにしてるの。他人(ひと)とくらべずにね

失ったものより、今あるオトクを捜すようにしてるの。
他人ひととくらべずにね
樹木希林
Column 2018 No.67

 今年9月、75歳で逝去した樹木希林さんのフレーズです。彼女の死後、テレビ・映画では、彼女を追悼する番組が毎日のように流れ続けました。先日彼女の出演した邦画「日々是好日」を観に行きましたが、どの時間帯も満席で、それは初めての経験でした。

 彼女は全身癌に侵されながらも、最後まで、女優として演じ遂げた奇跡的な人でもありました。実に演技のうまい役者さんで、沢山の賞も獲得しています、私は以前から好きな女優さんのひとりですが、ここまでフアン層の広い、人気女優さんだったことをあらためて認識したのでした。  

 普段の彼女は、さらりと含蓄ある冗談を言い放ち、自分自身を下げることも上げることもなく、それは役を演じるときも同様で、多くは脇役でしたが、普段着の彼女のままで語り、演じていました。得難いキャラクターの持ち主だったと思います。たまたま数年前の「リビングひろしま」紙に、希林さんが取材されていて、その記事を手元にもっていました。その中で彼女が語った一文です。

「…年寄りになると、病気もするし、目もよく見えないと、不自由も増えて、薬やメガネ…と、必要なグッズが増えてくる。だから私は洋服やモノをなるべく減らそうとしていて、不自由さも面白がろうと思って。そこは徳江さん(映画「あん」の役)とギャップが無かったね。白髪も染めるのは勿体なくて、白髪を生かしたパーマをかけたのよ。わあ、こんなこともできなくなった…じゃなくて、面白い発見にしてるの…」

 その記事によると、彼女はマネージャーも雇わず、化粧品も持たず、バスやJRを利用して遠いロケ地にも一人で出かけていたという。

「…ジバングに入っているからJRの料金が3割引き…。こんなこと、他の女優さんは知らないんじゃない?ホントは私も“女優”然としたいんだよ~(笑)でも、ならないねえ。私は徳江さんのように草木に耳を澄ましてその声を聴くような豊かな感性もないし、耳を澄ましたら耳鳴りしか聞こえない…」

 希林さんの発する言葉は、実にスマートで、ユーモラスで、彼女なりの哲学があって、それを大切に生きてきたことが伝わってきます。他者を恐れず、自分にとっての真実を、堂々と生き、語っていたような気がします。その結果、真実を見抜く目を持っていたので、ある面、多くの人を怖がらせたようです。

「…私は、自分勝手で、決して周りに媚びないけど、欲はあるの。すべてをそぎ落として、力を入れずに、スクッと立っていたい欲…。人間として見栄は必要と思うけど、人と比較したり、他人に張るんじゃなくて、自分に張ることじゃないかしら…」

 私にとって、彼女の死は「スクリーンの巨星墜(お)つ…」の感があります。彼女独特の持ち味でさらりと演じ、味わいある光を放ち続けてきました。女優としての希林さんに、私が魅力を感じるのは、彼女は決して周りに媚びず、自分軸がブレることが無かった人のように思えるからです。

 こんな彼女が大好きだけれど、しかし不思議ですが、私が彼女のようになれる…とは決して思いませんし、また、なりたいとも思わないのです。私は希林さんとは全く違ったスタンスで生きています。髪も染めて、しっかりお化粧をして、イアリングなどもつけて、自分なりに納得できるお洒落をして人さまに会うし、仕事にも行きます。その方が、今の私にとっては居心地がいいからです。

 また遊びを大切にしていて(私もジバングに入っています)私も大抵はひとりで、行きたいところに行くし、自分にとって心地いいことであれば、惜しげもなくお金も使います。“自分勝手で周りに媚びない”…あたりは希林さんと一緒ですが、結構、周りに気は遣っています(笑)希林さんのように“すべてをそぎ落として…”の、心境にはまだまだ遠い気がしています。

 どんなに素敵な人を見ても、決してその人にはなれないし、なる必要もないでしょう。価値観の違いはどうであれ、希林さんのように、自分の信じるところを、凛として生き切った生き方を、私は見事だと思うし、とても好きでした。違いは違いのままで、自分の軸をブレさせないで生きている人は、やはりとても魅力的に思えます。

 私もさらに自分軸を大切にして、“誰とつきあうよりも…私がわたしとつきあって幸せな気分”…で、いられるような日々を、これからも過ごしていきたい…と思っています。

絶えずあなたを、何者かに変えようとする世界の中で、
自分らしくあり続けること、それは最も素晴らしい偉業である
エマーソン

*次回のコラムは1月20日前後の予定です。

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2018年11月20日火曜日

読書の時間を大切にしなさい。一冊の本との出逢いがあなたの生き方を変えることがあります

読書の時間を大切にしなさい。一冊の本との出逢いが
あなたの生き方を変えることがあります
ジョセフ・マーフィー
Column 2018 No.66

 「読書の秋」…とよく言われます。秋は、自然が豊かで気温も爽やか…何となく落ち着いて本の世界に入れる気分があるからでしょうか。

 読書というと、私自身、子ども時代から“本の虫”と言われるくらい本が大好きで、絵本から小説、エッセイ、歴史もの‥何でもそこにあるものを手当たり次第に読んでいました。いわゆる乱読です。通学の乗り物に乗っても、すぐに読みかけの本を開いて読んでいたものです。それを弟が「お姉さんはいつ見ても本に、しがみつくようにして読んでいた…。少しは外の景色でも見ればいいのに…と思っていたよ」と言われるくらいでした。

 学生時代、クラスの教授から興味深い宿題が提出されました。女性の生き方を描いた小説を、5冊以上読んで感じたことを、400文字の原稿用紙100枚以上のレポートに纏めて提出すること。今回はそれで成績を付ける…と。周りのクラスメートは「無理よ~!」…という反応でしたが、私はとてもわくわくとしたのを覚えています。山本有三の「女の一生」モーパッサンの「女の一生」円地文子の「女坂」…等々を選んですぐに読破し、レポートに取り掛かりました。

 レポートに纏めた学生時代のその経験を通して、私は、女性の性(さが)…そこから見えてくる、ひとりの人間としてのあり方を、自分なりに明確にし、腑に落ち、それが今も、生き生きと私の中で生きて働いているのを感じます。冒頭のフレーズのように、それらの本との出逢いが、今も私の生き方感じ方にとても大きな影響を与えているのを感じるのです。

書物の新しいページを1頁1頁読むごとに、私は、
より豊かに、より強く、より高くなっていく
チエーホフ

 賢人も、そこに至るまでには、書籍を読むことで自分を高め、深めていったんだな…ということが伝わってきます。確かに書籍は、その著者が経験したこと、苦労して得たもの、身に付けてきたことを、ひたすら精魂を傾けて書いています。その書物に触れることを通して、私たちは他者の人生を味わい、他者の人生を間接的に経験することができるのです。

 その結果、私たちも自分の視野を広げ、世界観を広げ、精神性を高め、自分自身を深めてきたのだと思います。もし書物を通して学べなかったとしたら、私たちは、自分ひとりの人生しか経験できないし、自分ひとりの人生しか味わうことができなかったでしょう。その結果、自分の固定観念に縛られて、頑固に不自由に生きることになったかもしれません。

 しかし、私の祖父は、私の本好きを心配していたのか、「亮子、よい本を読むことはとても大切だが、でも読み過ぎては駄目だよ…」と時々言っていました。私は自分が、書物を通して成長している自分を感じていたし、祖父が毎日書物を読んでいる姿も見ていたので、祖父の言っていることがその時は、よく理解できませんでした。読み過ぎると、目が悪くなるから…かなぁ…くらいの理解でした。

 しかしもう少し年齢を重ねたとき、祖父の言っている意味が、はっきりと分かる日がきたのです。祖父が時折言っていた言葉に「人生の答えは外にはない。外に答えを求めすぎると自分が確立できない。答えは自分の中から来るということを信頼しなさい」…と。また「人の話を聴き過ぎてはいけない」ということも時折言っていました。読書をし過ぎたり、他者の価値観を取り過ぎて自分の軸がぶれてしまうことの危険性を警告していたのだということが解ったのです。

 最近出逢ったアインシュタインのフレーズに

本をたくさん読み過ぎて、自分自身の脳を使っていない人間は、
怠惰な思考習慣に陥る

 というのがありました。それぞれの著者が述べている価値観を、安易に取り続けると、自分自身の人生に対する感性が鈍くなる…ということを言っているのでしょう。祖父の言葉が意味している答えの一端を、垣間見たような気がしました。

ドン・キホーテは読書によって紳士になった。そして
読んだ内容を信じた為に狂人となった
バーナード・ショー

 ドン・キホーテの物語は面白くて何度か読みました。バーナード・ショーのフレーズに思わず笑ってしまいましたが、祖父の言わんとすることにも繋がるんだなあ…と、とても興味深く思ったことでした。祖父が私に伝えたいことが理解でき始めてからは、私は自分の軸をしっかり感じながら、書物を心から楽しみ、内容をしっかり咀嚼して、捨てるべきものは捨て、取るべきものは取っていく。そんな“感性”が、少しずつ育ってきたような気がします。

書物そのものが君に幸福をもたらすわけではない。ただ
書物は、君が、君自身の中に帰るのを助けてくれる
ヘルマン・ヘッセ

 人によっては色々な解釈があると思いますが、このヘッセのフレーズは、今の私の心にとてもしっくりときました。祖父が私に言わんとしていたことと統合したのです。書物はただ楽しむためだけに読むのではなく、また物知りになる為に読むのではない。書物は、私の魂の成長に、とても助けになってくれる存在…つまり私が、本当の私を見つけるための、本当の私に辿り着くためのひとつのツールとして在るもの…。

 これからも私の感性で、私にとっての良書を選び、「読書の秋」をわくわくと楽しみたい…そう思っている昨今です。

*次回のコラムは12月20日前後の予定です。

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2018年10月20日土曜日

起こってしまったことは変わらない。でも人の心は変わります

起こってしまったことは変わらない。でも人の心は変わります
・・邦画「コーヒーが冷めないうちに」より

Column 2018 No.65

 話題のベストセラー小説「コーヒーが冷めないうちに」が、同じタイトルで映画化されました(塚原あゆ子監督)邦画を観るのは久々でしたが、ファンタジックで、実に面白く興味深い映画でした。

 ある不思議なカフェがある。そこの女主人が淹れるコーヒーを飲むと、タイムスリップができ、悔いの残る人に逢うことが出来る。過去のその時点での相手に、伝え残した自分の気持ちを伝え、またその時の相手の本当の気持ちをも聴くことが出来る…というセッテイング。

 しかし、それにはちょっぴり面倒で厳しい約束事があって、過去に戻れる席はカフェの中のただひとつの席だけ。そして淹れてもらったそのコーヒーが温かい間のひとときだけがチャンス。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなければ、現実に戻ることができなくなり、幽霊として生きるはめに陥る…(笑)

 悔いが残る人に逢うと、やはり人間なので執着が起こり、“この人とずっと一緒にいたい!現実に帰りたくない!” “それでも戻らなくては!”…その葛藤に苦しむ登場人物の心情に…その都度、深い共感で心揺さぶられるのでした。

 もうひとつ約束事があります。過去に戻って、悔いの残る人と逢って、たとえ何を伝えても、何をしたとしても、起こってしまったことは変えられない…という厳しい原則。 それでも人は悔いの残る人に逢いたいのです。現実は変わらないにしても、言い残したことを伝えることで、その人の気持・心情には、決まり(決着)がつき、それからの生き方・人生は変わっていく…。

 私自身が、もしあの日に戻れるとしたら…私は「父」に逢いたいと思いました。私の心の中に悔いが残っている人のひとりです。父は心から子どもを愛していました。それに本当に気付いたのは、父が亡くなってから…のことでした。情の深い人でしたが、生前はお酒好きで、短気で怒り早く、自己表現が不器用で、私は父の前でいつも緊張していたような気がします。何のことだったか忘れてしまったのですが、ある日、私の気持ちが大爆発してしまい、父に対して「私はお父さんからの愛を感じたことがない!」…と言い放ってしまったのです。そのとき父は黙って涙をぬぐっていました…。この場面を思い出すたびに胸が締め付けられるような思いになります。なんてひどいことを言ってしまったんだろう…と。本当は愛されていたんだ…と伝わってくる過去の、数々の場面が思い出されてくるだけに、とても切なくなるのです。

 もし過去に戻れて「父」に逢えるとしたら、私は心をいっぱいに開いて、父に伝えたいと思います。「お父さんごめんなさい!あなたの本当の愛に気づいていなかったことを…。気付くのが遅かったけど、心から有難う!お父さん愛しています!そして大好き!」…と。父を“傷つけてしまった”過去の事実は変えられないとしても、映画のその場面のように、実際に逢って本当の気持ちを表現するだけで、私の気持ちには決着がつき、さらに前に向かって歩いて行けるような気がするのです。

 私は今、しみじみと思うのです。過去に戻って気持ちを伝え直さないで済むように、大切な家族やご縁ある人に、私がいまこの時に感じている心からの愛情や本当の気持ちを、そのまま“今”正直に伝えておきたい…と。そうしないとコーヒーはあっという間に冷めてしまいます…。父の涙を見たとき「お父さんごめんなさい。言い過ぎたわ…」だけでも、そのとき、勇気をもって伝えられていたら、私の中にこんな悔いは残らなかったかもしれません。

言い過ぎもせず 言い残しもなく 自分の心をきちんと
表現できたら その日は幸せな一日  
出典:サインズ

 次は私の受講者のKさんから頂いたお手紙の一節です。

「…いずれ巣立っていく子ども達と、こんなに毎日しっかりと、向き合える時間を与えてもらっていることは、私にとって宝のような時間だ…と思えるようになってから、娘・息子のさまざまな言葉や、表情、しぐさを胸に焼き付けておこうと思うようになりました。いま世の中は、天災、テロ、事故…何が起きてもおかしくない毎日だから、思った時に「大好き!」「愛してる!」「あなたは宝物よ!」と、感じたことを後悔しないように伝えるようにしています……」

 再び同じ“今”は来ない…ということを理解していらっしゃるKさんは、このひとときに感じている、子どもへの愛情や本当の想いを、後悔しないように“今”伝えておこう…と。Kさんは、コーヒーが冷めないうちに…の理(ことわり)を実に深く理解している人だと思ったことでした。こうして受講者の方々からも学ばせて頂けるこの幸せなひとときを、私は大切にしたいと思います。そう!コーヒーが冷めないうちに…。

幸福には明日という日はありません。昨日という日もありません。
幸福は過去のことを記憶してもいなければ、将来のことも考えません。
幸福は現在があるだけです。今日という日ではなく、
ただ、“いま”のこの瞬間があるだけです
ツルゲーネフ

*次回のコラムは11月20日前後の予定です。

2018年9月20日木曜日

自分への限りない思いやりこそが愛の人になれる鍵です

Column 2018 No.64

 ある動物園の園長さんのお話です。
「…不幸にも母親猿にかまってもらえなかった子猿が母親になったら、自分の子どもにもやはり愛情を示さないんですね…。甘えてくる子猿に危害を加えることもあります。一方、母親に愛されて育った子猿が母親になったら、餌を獲得できるようになるまで、殆ど子どもを手放さずに抱いたりおぶったりし続けます…」

 このお話は、私たち人間の子育てにとっても、大切な示唆があります。次はずっと以前、新聞の投稿欄に掲載されていた一文です。
「…35歳の主婦です。2歳と3歳の子どもがいます。実は私は子どもがちっとも可愛いと思えないのです…。 最近は我が子の泣き声を聞くだけでイライラして、つい手を出してしまいます。すぐに後悔するのですが、またすぐにカッとなって手が出ます。私には母性が欠けているのでしょうか…」

 あるお母さんは泣きながら私にこうおっしゃいました。
「…子どもが苦しんでいるのを見ると、今ここで助けてやらなければ…と分かってはいるのだけれど心が動かないんです。“私だって苦しんできたのよ!あんたはまだましですよ…”と、心のどこかで冷ややかに眺めている自分が居るんです…」

 本当はどのお母さんも愛深いお母さんになりたいと思っているのです。子どもを怒るまい叩くまい…と思っているのに、カッとなると機械的にスイッチが入って、子どもを罵倒したり暴力を振るったり、嫌味を言ったり無視したりしてしまうわけです。どうしようもない自分に心の中ではおいおい泣きながらついやってしまうのです…。

 そんなお母さん方によく伝えます。「…お母さん、あなたが悪いわけではないんですよ‥。あなたが親御さんから愛を学んでこれなかっただけで、仕方ないんですよ…」と。するとご自分の生い立ちを涙ながらに語られます。いかに親に無視され侮辱されてきたかを…。そして“…でもこのままでは子どもは大変なことになる!やめなければ!…と、私どこかでずっと思ってるんです。でもつい…。どうしたらいいのでしょうか…” このように自分を責め、絶望的になっているお母さんは意外にたくさんいらっしゃるのです。

 続いて私はお母さん方に伝えます。「…子どもは見捨てなければ育ちます。怒ったり叩いたりするのはまだ子どもを見捨てていない証拠です。でも怒らない・叩かないが一番いいですよね。しかしこれは一度には、なかなか直すことは出来ないものなんです。多くは体に染みついていますからね。だからついやってしまう自分をどうぞ許してあげてください。やっていい…と言っているわけではありません。やってしまう自分に気付いて、そして許してあげるのです。今は仕方ないんだ…と。自分を責めまくって、いっとき反省しても、なかなかいい方向には向かわないんです。許してあげる方が不思議ですが、徐々に辞められる方向にいきますからね…」

 こういうと、多くのお母さんは号泣されながら「…なんか楽になりました…。難しいけど、そんな自分を責めないでいいんですね…」と、“何だかよくわからないけど…できそう…”という表情をされます。

誰かを愛すること、それは私たちに課せられた最も困難な試練です

 オーストリアの詩人リルケが知人に宛てた手紙の一文に書いています。特に愛を学ばないまま大人を迎えてしまった人にとっては、“愛を学ぶ”ことは、最も難しく、リルケの言葉を借りれば“試練”だと思います。人は長年培ってきたものを簡単に変えることは難しいということです。しかし愛する能力も訓練(練習)で身につくものなのです。日々の自分の思いの傾向に気づき、赦し、そして今できることをひとつやっていく。その日々のひとつの積み重ねが大切なのです。

 やりすぎたな…と思ったらまず心からお詫びを言いましょう。子どもがいけなかったのではないことを…。罪悪感を払拭してあげることはとても大切です(コラムNo61)。一度には子どもの気持ちは晴れないでも、お母さんのことを大好きですから許してくれます。失敗してしまったりやり過ぎてしまった時、居直ったり挫折しないで、気付いたらすぐに気持ちを立て直す…これも大切な訓練です。

 機嫌のいいお母さんになることが子育てには一番大切です。親から愛を受けとれなかったお母さんはとても不機嫌です。なぜなら親に気を遣って生きてきたから、言いたいことを言わず、やりたいことをやってきていないので、幼い心が怒っているのです。

 “子どもを愛してあげられる私になろう…”それはとても大切な目標ですが、とりあえずは、遠くの目標はひとまず置いて、“今、どうしてあげたら私の心が喜ぶんだろう…” “私は今、ほんとうは何がしたいんだろう…”と、感じてみて下さい。今の自分の心を満たしてあげることが、何はともあれ一番に大切です。親からやってもらえなかったことを少しずつ、いま自分にやってあげるのです。

 幼い頃の自分が心の中で声を潜めて泣いているのを感じてあげてください。あなたは子どもの頃、お母さんに言えなかったことは何ですか。お母さんに何をしてほしかったのですか。お母さんと何をして遊びたかったのですか。本当にやりたかったことは何ですか。本当に欲しかったものは何ですか。それを自分に、いま与えてあげてください。周りの人が何と言おうと笑おうと、自分にやってあげてください。そのうち幼かった頃のあなたが少しずつ笑顔を見せ始めますよ…。これが真の癒しです。不思議ですが、気持ちが癒されてくると、いつのまにか他者に、そして我が子に、ずっと優しくなっている自分を感じるはずです。

 リルケは“愛を学ぶことは試練だ”…と言いましたが、実は、自分への限りない優しさ・思いやりこそが、愛の人になれる鍵(キーポイント)だとしたら、愛を学ぶことは、試練というよりは、‶真の癒し“であり、“自分育て”であり、決して苦しい作業ではありません。それを積み重ねていくことがまた、あなたの自己実現に向かう確かな道でもあります。コラムNo39コラムNo43にも“赦し”や“自分を愛すること”についてのテーマに触れています。

*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

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2018年8月20日月曜日

苦手な人の前でもあなたらしく

Column 2018 No.63

 久々に会った友人のEさんが、「この頃、私ねぇわがままになっちゃったんだと思うの…。相手が自分のことばかりしゃべったり、私の興味がない分野のことを長々と話されると、すごく疲れるのね。以前はそれでも話を合わせられていたんだけど、この頃、何だかうんざりするのね…そう!苦手に感じる人が増えてきた気がするの…。これってわがままよね…歳のせいもあるのかしら」…と呟いていました。

 確かに、一方的に自分の話ばかりする人や、自慢話ばかりする人、不機嫌な人、そして他人の情報ばかりを話す人…の多くは、一般的には、相手に苦手意識を持たせてしまうようです。だから彼女の不安は当たり前と言えるかもしれません。

 私たちは、一人ひとり感情を持っている人間です。だから、誰とでも気が合って、誰とも争わないで生きていくことは不可能です。逆に「私は誰とでもうまくやっていますよ…」という人があるとしたら、自分の気持ちに気づいていないか、自分の本当の気持ちを無意識に誤魔化しているのかもしれません。

 だから誰とでも笑顔で付き合える人が社交上手で、苦手な人とは付き合えませんという人を社交下手と決めつけることは誰も出来ません。こんな経験はありませんか。ちょっと無理して苦手な人と付き合って帰った日など、ぐったり疲れたり、何となく不機嫌になったりしたこと…。 私たちは、相手が苦手な人であればあるほど、本当の自分からずれてしまって、無理に笑顔を作ったり、心にもないお世辞を言ったりして、その場を取り繕ろおうとして頑張ってしまうんですね。

 苦手意識に捉われて罪悪感を持ったり、自分を不自由にすることは辞めたいものです。“苦手な人だわ…”という今の自分の感じ方を大切にしていいのではないでしょうか。しかし“固定観念”はもたないことが大切です。何故なら、好きな人!…と、今、あなたが感じている人を、明日は苦手になるかもしれないし、逆に今、とても苦手な人が、先ではとても付き合いやすい人になるかもしれないのです。人の気持や感情は、自分を含め常に動いていて、変化・成長していくものだからです。

 社会に生きている私たちは、いつも気が合う人ばかりと居るわけにはいきません。苦手な人と仕事をしたり、致しかたなく場を同じくせねばならないこともあるでしょう。その時でも“苦手な人…”と感じている自分に決して“後ろめたさ”を持たないで、ありのままの姿で接すればいいのです。無理な笑顔も要りません。用件が済んだら「それでは…よろしく」と言って、優雅に立ち去ればいいのです。

私は人が笑ってほしい時に笑いません。
自分が笑いたかったら笑います

 イチロー選手の言葉です。頑なまでの正直さを感じますが、その心持ちが野球一筋に集中できた人生になったのでしょう。私たちも自分の気持ちを大切に正直に生きていったら、その相手の人には好かれないかもしれませんが、私たちの人生は充実していくことでしょう。その上、正直な自分が大好きになるはずです。自分を好きになることは、よりよい人間関係の大切な第一歩なのです。

  “投影”という心理学用語があります。「泥棒は誰よりも自分の家の戸締りに気を付ける」…これは“投影”を解かりやすく現している例え文です。つまり私たちは自分の中にあるものを他者に投影して見てしまいやすいということです。

 自分の中にある認めがたい感情や性質を、相手の中に見ると、その人が苦手に思えたり、嫌いになったりする傾向があるというわけです。「あの人は、ずるいからいや!」というけれど、もしかしたら、相手のその許し難い性質が自分の中にもあって、そのことに気付いておらず、感じないふりをしているのかもしれません。相手に腹を立てているようですが、実は自分に怒っているのです。

自分を見るように他者(ひと)をみる。
他者(ひと)をみるように自分を見る

 という故事もあります。私も親からよく言われていた言葉に「人の振り見て、わが振り直せ…」というのがありました。角度はちょっと違いますが、他者の中に学ぶべきことがあるということ…。相手の中に見るその許しがたい性質が、もしかして自分の中にもあるのかもしれないなあ…と感じてみるとき、大きな気付きが生まれます。苦手な人からも、私たちは自分自身を理解していくことが可能であり、学ばせてもらっているのですね。

 私たちはみんな、鏡のようにお互いを映し合いながら気づき、学び合い、お互いに進化・成長しているのだと思います。苦手な人に出逢った時、自分に正直にすっと立ち去るか、自分理解のチャンスと捉えるかは私たちの選択です。正しい・正しくないはありません。好きな人がいて、嫌いな人がいて、付き合いやすい人がいて、苦手な人がいます…というあなたはとても人間的な人なのです。

相手の好みに無理やり合わせていると、いつか心と身体が痩せ細っていきますよ。
私はわたし…と思えるようになる為にはまず嫌なことはしない…
と決めればいい。“Yes” “No” をはっきりする…これは大事です
瀬戸内 寂聴

*次回のコラムは9月20日前後の予定です。

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