2020年8月20日木曜日

希望がある限り若く 失望と共に老いる

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希望がある限り若く 失望と共に老いる
サミュエル・ウルマン
Column 2020 No.87

冒頭のフレーズは次のウルマンの詩の一節です。

齢を重ねるだけでは人は老いない
理想を失うときに初めて老いがくる
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
希望がある限り若く 失望と共に老いる


たとえいかなる逆境・悲運に遭おうとも、
希望だけは失ってはならぬ。朝の来ない夜はないのだから
吉川 英治

 多くの先哲が残した言葉の中に、「希望」が如何に生きる上での中枢となり、生きたい人生を創っていく上でのエネルギーとなっていくかが伝えられています。

 生きていく中で“…未来が見えない。どうやって生きていいかわからない…”と思えるような、絶望的な気持ちに襲われた体験は、誰の上にもあるのではないでしょうか。その時「希望」は、私たちをどれだけ勇気づけてくれたことでしょう。しかし生きる気合いや勢いが幾らかある間は、その“希望”も、自分の中で有効に働いてくれるのですが、全く未来が見えなくなったとき、“希望”と言う文字すら思い浮かばない状態になります。

 私の若い頃の体験ですが、重篤なうつ状態に陥り、暫く家に籠ったことがありました。病床から一歩も出られず、そうかと言って熟睡もできず、“希望”どころか生きることを辞めてしまうことへの憧憬の方がどんどん膨らんでいくのです。
 しかし生きることを諦めることだけはしたくないと、自分に言い聞かせながら、生きる希望を見い出すために必死で闘っていました。しかし闘えば闘うほど“希望”は遠く離れていきます…。しかし、結果的に言えば私は立ち上がったのです(コラムNo19)。つまり再び希望を見出したのです。

 深刻な鬱状態から立ち上がり、再び“希望”を見い出していくまでのプロセスを今一度整理してみることは、自分自身のためにも益となるのではないかと思い立ち、今回のコラムで纏めてみようと思いました。

☆ 怖れの蓋を思い切って取ってみる

 怖れの根深さは計り知れません。実は「挫折」には無意識の恐れ(人間関係の怖れ・自分自身の無価値感・罪悪感・将来への不安…等々)が複雑にからまっていて、その多くは、見ないふり、感じないふりをしてやり過ごしてきたことに気付きます。しかし深刻なうつ状態に至ると、有無を言わせず怖れの蓋はこじ開けられ、いやが上にもさまざまな怖れと対面しなくてはなりません。その怖れ・不安との精神的闘いは二度と体験はしたくないと思うほどつらいことでしたが、それは自分にとっては通らねばならない関門でもあったのです。

☆ どんなに苦しくても必ず立ちあがれる日が来る

 怖れと孤独感の泥沼の中で必死にもがいているときには…“立ち上がれる”なんて気持ちには全く及びもつかない心境でした。しかし自分の中の闇(恐怖・不安・罪悪感・無価値感)との壮絶な闘いの中で感じたことがあります。「まな板の上の鯉」と言う故事がありますが、辛さの極限を迎えたとき、‟もうなるようになれ!好きなようにしてください…”と、自分を守ることをすっかり辞め、何かに委ねた…と云うより、諦めてすべてを投げ出した時、ふっと言葉には言い表せない、安らぎのような感情に満たされたのです。それからも勿論、浮き沈みはありましたが、徐々に自分を取り戻していくスタート地点に立てたのです。

☆ 気持ちが伴なわくても、その気になって生きてみる

 それからも随分の時間が必要でしたが、よろよろと再び自分の人生を歩み始めたとき、私の中から来た答えは“自分の人生を取り戻すために、やり残してきたことをやろう”ということでした。しかし何をしたいのか…何が欲しいのか…何が食べたいのか…も、実は自分の中ではまったく不明確だったのです。でもある朝起きたときに「今日は美術館へ行ってみようかなあ。でも怖いなあ…」と思ったのです。でも勇気が出ない。布団の中で半日悶々としていました。でも思い切って行動してみたのです。でも周りばかりが気になって、心はちっとも喜ばない。でも諦めまいと思ったのです。気持ちは伴わないけれど、自分からくる答えで、瞬間瞬間その気になってしんどいけれど生きてみようと、その時決意したのです。

最初の一段を上りなさい。階段のすべては見えないでいい。
とにかく最初の一歩を踏み出すのです。
キング牧師

☆ 変化することをおそれず、大胆に生きる

 不思議ですが、人は挫折の極限を体験をすると、けっこう大胆に生きれるようになります。人生の崖っぷちに立った経験があるからでしょうか。恥もたっぷりかいたからでしょうか。少々のことは問題ではなくなるのです。勿論それからも幾らか紆余曲折はありましたが、私は再び希望を見出し、自分の流儀で徐々に生きれるようになったのです。変化することがなぜ怖かったのだろうと思うくらい変化することを受容できるようにもなってきました。

あなたの心に従っていきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく
ボブ・デイラン

幸せになることに後ろめたさは要らない

 コラムNo19でも触れているように、私の母はあまり幸せな人ではなかったので、私の中にはなぜか、自分が幸せになることに根強いこだわり(罪悪感)がありました。だからかもしれません。1960年代を華やかに彩った“ビートルズ”のメイン・ヴォーカルを務めたジョン・レノンが残している言葉に、とても惹かれたのです。彼は短い生涯でしたが、幸せな人生だったに違いないと私には思えます。ジョン・レノンのように、“幸せこそが一番大切なのよ”と、親から学習した子どもは、幸せになることに決して後ろめたさは持たないことでしょう。その子のハートの中から「希望」という存在が、決して輝きを失うこともないでしょう…。

 僕が5歳の頃母は、幸せこそが人生で一番大切なのだといつも教えてくれた。
 学校で“大きくなったら何になりたいか書きなさい”と言われたので、
 僕は「幸せ」と書いた。みんなが“お前は課題を解かっていない!”
 と言ったので、僕は、“あんたらは人生が解かっていない‟と、答えた。


*次回のコラムは9月20日前後の予定です。

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2020年7月20日月曜日

善人なをもて往生をとぐ、言わんや悪人をや

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善人なをもて往生をとぐ、言わんや悪人をや
歎異抄
Column 2020 No.86

 「歎異抄(たんにしょう)」は親鸞聖人が、傍にいた弟子たちに語った教えを、弟子の唯円房が、忠実に後世に残したい…という悲願を以って纏めたもの…と言われています。この書は、鎌倉時代後期に書かれた後、長い期間本願寺の文庫の中に秘められたままで、この書が世間に出たのは江戸末期辺りから…と言われています。

 「歎異抄」は一宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている稀な宗教書です。私は以前この書を手にしたとき、随分“難解な仏教書”と思った記憶がありましたが、数年前に到知出版社から出た「歎異抄」(金山秋男語訳)は、かなり解かり易く書かれており、物語を読むように楽しめました。そして改めて読み返してみると、やはり深い感動がありました。よく祖父が口にしていた“罪悪深重の我々凡夫”への深い赦しが魂に届きました。そして以前からこだわりのあった冒頭の一文が改めて心に響いたのです。

 「歎異抄」第三章は、タイトルに掲げたこの有名な冒頭の一文から始まっています。このフレーズの意味は、「善人ですら、仏さまによって救い取られて、真実の世界に生まれ変わることができるのだから、ましてや悪人が救われないわけがない…」と言った意味あいです。私が初めてこのフレーズに接したのはいつ頃であったかは忘れましたが “何だこれは!善人と悪人が逆さまなのでは?”…と、実は混乱していたのです。

 そして続いて「…しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。」(原文のまま)その訳は 「それなのに世間では、私(親鸞)が言わんとすることとは違って、次のように理解してしまっている。悪人でさえ、救い取られるのに、ましてや善人が救われないわけがない…と。」

 まさに私が誤って理解していた通りのことが続いて書かれていたのでした。しかし読み進めていくにつれて、少しづつ理解が深まっていきました。

本書の中にこんな一節があります。「“歎異抄”で言う悪人とは世で言う犯罪者のことではありません。自分のいやしいあり方に気づき、また阿弥陀様からの慈悲を受けながら、なかなかそれに即することができない(自分の中の悪の感情を認めている)人のことをいうのです。善人とはそれと反対に自分の真の姿に気づかず、いい行いができているとうぬぼれている(自分を善人だと思っている)人で、従って阿弥陀様の呼びかけを聞こうともしない自己中心的な人々のことです…」と。

あらゆるスリや泥棒や詐欺師は、少なくとも自分が悪いと自覚しているが、
ただ口先で世の中おかしいと言っているだけの人間は善悪の自覚さへない
中島 義道

 中島氏が云わんとすることは、自分をまっとうな人間の部類に入れて、「善人」ぶっている人。自分はいつも正しくいい人間のつもりでいる人…そう思っている人は、自分の中の負の側面に気づこうともせず、周りをジャッジばかりしている。片や、自分の中の悪を認めて、自分を悪人と自認している人間もいる。真実はどちらなんだろう…と、疑問を投げかけているわけです。

私は、何か善を行おうとする希望を持ちそこに悦びを感じることもできる。
だが同時に悪を行いたいと思いそこにも悦びを覚えることができる
ドストエフスキー

 本の題名は失念したのですが、彼の作品の中の登場人物がつぶやいた一節です。悲しいかなこれが人間の正体かもしれません。生きている間には、どうしても避けられない無数の罪を作らなければならない我が身の哀しさを知り、怒ったり、泣いたり、嘘をついたり、人を裏切ったり…そんな悲しい生き方しかできない「悪人」である自分…。親鸞聖人は「歎異抄」の中で、“その醜く愚かで罪深い自分を見よ。そこに還れ。そこからしか道は開けないんだよ”ということを伝えています。それが「歎異抄」の中で「善人なをもて往生をとぐ、言わんや悪人をや」と言わしめたのだと思います。

 イエス・キリストも偽善について戒めている有名な聖句があります。

…偽善者が人に崇められんとて、会堂や街にて為すごとく、
己が前にラッパを鳴らすな、誠に汝らに告ぐ。
彼らは既にその報を得たり汝は施しをなすとき右の手の為すことを左の手に知らすな…
マタイ伝 第六章1~8

 人に見せる為に施しをする。自分がさも真理に叶っている人間であるかのように
ふるまって見せて歩く。そんな偽善者になってはいけない。施しをするときは、右の手がしたことを自身の左手にさえ知らせないようにしなさい。これが神のみ心に沿う陰徳の積み方である…と。 とても厳しい聖句ですが、その頃の時代背景の中での偽善的行為は、おそらく目に余るものがあったのでしょう。

 さて今、私が自分の行為を見つめてみた時、それが“善”から出たのか“偽善”なのかと問われると、私にもはっきりわからない気がします。人の心には“光と闇”が混在しているからです(コラムNo35No36) 私はこれまでの人生、自分の光と闇の感情の中で葛藤しながら自分を見つめ、自分に泣き、絶望し、必死で光を追い求めて生きてきた気がします。だから私の中には純粋な「善」も無いし、絶対なる「偽善」もありません。

 あるテレビドラマが発祥のようですが、ひとときよく売れていたキャッチフレーズがあります。

偽善で結構! やらない善よりやる偽善

 “何もしないくらいなら 何かをして偽善者と呼ばれた方がましだ!”…くらいの勢いで喝破したセリフでしょう。多くの人の心を捉えた名セリフですが、私も“なるほど!”と、ある意味共感した者のひとりです。誰かのために行なった行為が、清らかな気持ちでやったのか、無意識に下心をもってやったのかは、私にも分かりません。残念ながらそれを図る尺度も、相手の中にはなく自分の中にしか無いのです。 善か悪かを判断して“やらねば”と思ってやったのではなく、それが善であろうと偽善であろうと“自分がやりたいからやった”…これだけが私にとっての尺度であり真実です。

何らかの善を心の裏に持たない悪人はなく、
何らかの悪を心の裏に持たない善人もいない
ジョゼフ・アディソン

*次回のコラムは8月20日前後の予定です。

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2020年6月20日土曜日

自分軸で生き、自分の感性を信頼する

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Column 2020 No.85

 思春期を少し過ぎた頃、私は、幸せへの道を外に求めて、キリスト教・神道・仏教…と、宗教の門を次々と叩き、学んでいました。何故か生きることが辛くて、真理に答えを求めようと一生懸命だったのです。出掛けていく私に、祖父は「今日も勉強に行くんだな。偉いぞ!学ぶことはとても大切だ…」と、その都度、私を勇気づけて送り出してくれていました。

 しかし、やがて、徐々にそれにのめり込んでいく私の様子に、心配もあったのか、ある日「亮子、いま時間はとれるか?」と尋ねてきて「亮子は偉いと思う。何でも一生懸命だ。学ぶことはとても大切だからね。おじいさんも毎日勉強しとるよ。」と、前置きしたあと、「…でも、覚えておいてほしいことがある。学ぶことはとても大切だ。 でも、亮子!探しても探しても、答えは決して外には無いんだよ。誰が言ったのか分からんが“宗教より入りて、宗教より出(い)でよ…”という言葉があるんだ。確かに宗教は真理を学ばせてくれる。しかし、学んだらそこから離れてみないと、真実は見えにくくなるということがあるんだよ…」

 そして、祖父は、自分の胸に手を当てて、「答えはすべてここにあるんだ。決して外には無いんだよ。学んだらいつか自分に帰りなさい。それを忘れてはいけないよ…」と。祖父はそのとき一度だけ、しみじみと伝えてくれたのでした。それからも、のめり込んでいく私の行動を、祖父は黙って見守り、決して止めることはしませんでした。しかし、祖父のその教えは、その時より私の中から決して消え去ることはありませんでした。

自分自身の目で見 自分自身の心で感じる人は とても少ない
アインシュタイン

 外の世界にのめり込んで生きていた私を危ぶみ、祖父が伝えたかった気持ちと、アインシュタインが憂慮していたことは、ひとつだったのだと、今の私にはしっかりと理解できます。祖父は、自分軸の大切さを徹底的に教えてくれたのです。祖父が心を込めて伝えてくれたことは、私のそれからの人生の底辺にいつもあって、それからもたくさんの試練があったり、人生の迷い子になることは度々ありましたが、“人生に迷ったら外にではなく自分に帰る”…のスタンスが、いつも私のハートに鳴り響いていたものです。

 私の人生を代わって生きてくれる人はありません。道に迷ったときには、自分の軸を感じ、自分の感度を信頼して、自分から来る答えを待ちます。世間の常識はこうだから…。一般的にはこう考える…。もちろん参考にはしますが、そのまま受け取ってしまうと、大きなズレを生むことがあります。私にとって、私の感度以上の存在はないのです。それが教祖様のお言葉であろうと、その筋のオーソリテイーの説であろうと、勿論メデイアの情報であろうと…です。(コラムNo80

 自分の心や感情を無視し続けると、感度はどんどん鈍り、その声はやがて聞こえなくなってしまいます。そうやって一人ひとりに与えられている、天与の能力である「感度」を、私たちは無意識に封印してしまったのです。その結果、益々メデイア情報を鵜呑みにしたり、宗教依存に陥ったり、他者の意見に振り回されたり…といった状況に陥ります。そして生きているという実感のないままに、人生を閉じる結果になってしまうかもしれません。

このまま行け!と、僕の中の僕が命じるんだ
ゴッホ

 その封印を解くためには、外からの情報への依存に、まず本気で気づき、思い切って依存を辞めてみる。間違いを恐れず(間違いと言うものはありません)自分自身からくる答えを信頼し、そしてそれを思い切って生きてみるのです。このゴッホのように! そうすれば、迷いながらも、どんどん「感度」が甦ってくることでしょう。

 猛威を振るったコロナも、わが国では終息の気配を見せてきてほっとしていますが、あれほどまでにコロナに力を与えたのには、私たち人類にも責任があると感じています。私達の「感度」をあとまわしにして、メデイアにおける過剰な報道を、すべて真実と受け止め、影響を受けることを許したのは私たちです。その結果、恐れと不安と焦りの感情が集合意識となり、民衆を席巻しました。勿論その事態を決して疎かに考えてはいけません。インフレンザに対処すると同じように、手洗い・うがいを励行し、マスクをして、予防する…ことは、何はともあれ大切です。

 そんな世相の中でも、自分軸をもって自分の感度を大切に生きた人達は、周りにも沢山いました。過剰な報道の影響力に気づき、TVを消し、自粛休日を家族の貴重な休日と捉えて、日頃できない子どもとの遊び、夫婦の語らいに費やした人たちです。「信じられないほど平和でした…」と語っていた方もありました。

 メデイアによる報道を始め、周りに起っていることに「いい・悪い」「正しい・間違っている」はありません。すべてニュートラル(中立)です。それをどう受け取っていくかが私たちの責任です。批判・判断は簡単です。しかし大きな流れとなって動いているその現実を変えようとすることは並大抵ではありません。そのエネルギーを、それぞれが自分に向けて自分軸に戻り、自分の意識の方を変えていく…人類一人ひとりの意識の変革つまり自立こそが社会を変えていくのです。

常に自分の中に答えを求めなさい。
周りの人や周りの言葉に惑わされてはいけません
アイリーン・キャデイ

 一人ひとりの中にある「感性」を信頼し、そこから来る真実・叡知・発想で、一人ひとりが自信をもって選択・行動をしていく。私たちはロボットに作られてはいないのです。叡知に満ちた答えを、自分の内に秘めて生きているパワフルな存在なのです。何度か取り上げたフレーズで、今回のコラムを閉じたいと思います。

私の言ったことを鵜呑みにしてはいけない。
自分の魂に納得いくものを、腑に落ちるものを採りなさい
賢者のことば

*次回のコラムは7月20日前後の予定です。

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2020年5月20日水曜日

脳にいいことだけをやりなさい(その4)

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脳にいいことだけをやりなさい
マーシー・シャイモフ
Column 2020 No.84

 今回は、私が掲げた脳に関するシリーズの最後になりました。

1 脳は楽しいことが好き
2 脳は刺激的な学習をすることが好き 
3 脳の衰えを老化のせいにしない~脳は齢を重ねても育ち続ける~
4 愛は脳を元気にする
5 脳の傷は癒せる
6 脳はだまされやすい
7 脳は支配できる~脳は書き換えることができる~


7 脳は支配できる~脳は書き換えることができる~

 以上7項目のうち6項目(コラムNo81, No82, No83)を通して、脳学者の諸説から、脳の真実について、私なりの考察を述べてきました。脳の働きは、決して遺伝子だけで決まるものではなく、脳には可塑性(池谷雄二氏)があり、生きる上でのさまざまな体験や、学びを脳回路に蓄えることで、脳のネットワークはカスタマイズされていく。よって、齢を重ねると、脳の働きが悪くなる…というのも実は思い込みであり、学習や訓練によって、生涯にわたって育ち変化していくものである…つまり、脳は育て書き替えることができる…というわけです。

あなたの能力に限界を与えるものは、他ならぬあなた自身の思い込みなのです
ナポレオン・ヒル

 “楽観回路・幸せ回路を働かせることは、人生がうまく起動していくポイントです…”という茂木健一郎氏のフレーズは、とても心を元気にしてくれました。自分のネガティブな思い込みに気づいて、まず受容しそして手放し、心が喜ぶことや、わくわくすることをいっぱいして、脳を元気にしてあげたいと思いました。

 また、いかに脳が損傷を受けても、外部状況に対する快・不快の情動判断は可能で、意識不明で大重体であったNくんの脳は、家族の愛をキャッチし、奇跡的な回復をもたらしました。松本 元氏の“人の情こそは、脳というエンジンを最も働かせるガソリンである” “愛は脳を活性化する”…等のフレーズはとても心に届きました(コラムNo82)。脳の強靭な働きとその神秘性に畏敬の念を持ったことでした。

 “プラシーボ効果”も印象的でした。医師が病気の人に“この薬はあなたの病気にとてもよく効く薬ですよ”と言って砂糖の塊を与えたら、事実、薬効があった…最近の研究でもその事実は、明らかになってきた…と茂木氏は述べていました(コラムNo83)。言葉には人の脳に深い影響を与える不思議な力がある…ということが理解できました。自分に対しても相手に対しても、ネガティブな言葉を掛ければ、脳はそれなりに反応し、ポジティブな言葉を掛ければそれなりに反応する…としたら、相手に対しても自分に対しても、脳が活性化するような、心が高揚するような言葉掛けをしてあげることの大切さが、しみじみと理解できました。

出来ると思えばできる。出来ないと思えばできない。
これはゆるぎない絶対的な法則である
パブロ・ピカソ

  “私にはできない。できるはずがない”“自分の性格だから変わるわけがない”…等々。多くの人々は、なぜか古い固定観念に頑固にこだわっています。自分の人生は自分が主役ですから、ピカソが言っているように、そのように自分を定義し続ければ、出来る人生・出来ない人生が…定義通りに働いていくことでしょう。

泥水でいっぱいのコップがあります。しかしそこに清水を注ぎ続ければ、
そのコップの水はやがて必ずきれいな清水に変わります

 コラムで何度か取り上げてきましたが、いま私は、その原理を大切に生きようとしています。私自身の中にも、生きる上でのネガティブな、ある観念が、今でも潜在意識の中に頑固に居座っているのを感じるからです。それはもう古くて、私の人生を楽しくわくわくとしたものには、決してしてくれない定義です。そんな時、この泥水のコップをイメージします。そして私の古い定義に“もういいよね!”と、愛を持って手放し、望む新しい定義を一滴一滴、そのコップに注ぎ続けています。同時に“新しい定義に沿った行動”も果敢にしています。

 すぐには清水に変わることはありませんが、決して諦めないで、新しい定義を淡々と注ぎ続けています。もう泥水には一切こだわらず、無心に新しい定義をただ“上書き”していくのです。思考も訓練のたまものなのです。今も汚水と清水のせめぎあいは幾らかあるにしても、潜在意識を占領していたネガティブな思考が徐々に降伏し、やがて新しい定義に席を譲ってくれる予感です。

脳は自己暗示にかかりやすい為、悲観的なことでも、
面白くとらえ直したり、楽しいことを考えたりするだけで前向きになり、
潜在能力が邪魔をしている蓋を、外すことができます。
茂木 健一郎

この、瞬間・瞬間を、若いとか年寄りとか、力があるとかないとか、
才能があるとかないとか、金があるとかないとか…あらゆる条件を超えて、
持てる限りいっぱいの自分の容量に挑み生きることだ
岡本 太郎

 自分を諦めない限り、脳は育ち続けます。私たちは脳の僕(しもべ)ではなく、脳の主人公なのです。脳は私たちの意志力によって、いつでも学習し直せるし、書き換えることができるのです。しかし脳科学の世界もまだまだ未知の分野です。さらなる可能性が証明される時代が、やって来るかもしれません。

脳については現在さまざまな説があり、科学として収斂(しゅうれん)し、
一定の結論に至るまでには、まだ相当の時間が必要でしょう
松澤 大樹

*次回のコラムは6月20日前後の予定です。

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2020年4月20日月曜日

脳にいいことだけをやりなさい(その3)

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脳にいいことだけをやりなさい
マーシー・シャイモフ
Column 2020 No.83

 コラムNo81No82では下記1~4について触れました。今回は下記5から続いて書いてみたいと思います。

1 脳は楽しいことが好き
2 脳は刺激的な学習をすることが好き 
3 脳の衰えを老化のせいにしない~脳は齢を重ねても育ち続ける~
4 愛は脳を元気にする
5 脳の傷は癒せる
6 脳はだまされやすい
(※No7は次回のコラムに続きます)
7 脳は支配できる~脳は書き換えることができる~


5 脳の傷は癒せる

 医師松澤大樹氏によると“心の病は脳に傷がある…ことが原因であるが、その傷も食事療法・運動・有効な薬…で治っていく。治癒したことは画像ではっきりわかる…”その療法で、多くの人々の心の病(うつ病・統合失調症・アルツハイマー・認知症…)を癒してきた松澤氏独自の見解です。(著書「心の病は脳の傷」)

 現在の精神科の世界では、統合失調症・アルツハイマー・認知症…は抗精神病薬を中心に投与することで、悪化する速度を遅くするとか、小康を保たせるやり方が主流で、まず治る病ではない…というのがほぼ定説です。しかし、松澤氏のもとを訪れた多くの患者さんの脳の傷が、治癒に従ってその傷が無くなっていく、或は小さくなっていく状態が、画像(松澤式断層法)に、はっきり映し出されるのです。新たな細胞が生まれ、傷を修復している映像が明確にわかります。

 しかし、「治癒する!」…と信じているのは患者さんだけで、松澤氏の指摘は、従来の精神医学の常識とはかけ離れているために、やはりその世界では抵抗が多いようです。その結果、その治療方法によって、日本の医学界、精神科医の認識が変わることはなく、やはり従来通りの治療方法が、主流となっています。しかし私は長年、心の病を対象にしたカウンセリングをやっている者として、カウンセリングでは限界があると言われる“脳の病の治療法”がある…という朗報には小躍りして喜んでいる者のひとりです。

 “バナナを食べて走りなさい”…が松澤氏の持論で、脳を回復させる力がある必須アミノ酸トリプトファンを多く含む“食事”(バナナはその筆頭)と、“運動”を勧めています。あとはぐっと減らした有効な薬物です。

見事に「心」の機能を整理した松澤先生の仕事は、
何個ものノーベル賞に値する偉業だと、私は思っています
田辺 功(医療ジャーナリスト)


6 脳はだまされやすい

 作家の五木寛之氏も「脳はだまされやすい。私は一日1回は、精いっぱい大きく口をあけて笑う」と話していました。笑うと「脳」は、“ああ、この人は幸せなんだ!”と理解して、幸せの化学物質を出してくれる…というからくりです。

 「プラシーボ効果」という興味深い現象があります。病気の人に医師が「これはあなたの病気にとてもよく効く薬ですよ!」と伝えて、砂糖の塊を与えたら、事実薬効がある‥ということは、昔からよく知られています。「脳」は暗示にかかりやすいのです。茂木健一郎氏も「脳が“これは自分の病によく効く薬だ”と思い込むと、脳はそれに対応した動きをしていく…ということが、最近の研究でも明らかになっている」と述べています。

 祖父は東洋医学の赤ひげ先生で、地域では人気者でした。多くの人を奇跡的に癒すことで通っていました。今思うと、祖父の言葉にはまさに「プラシーボ効果」があったのだろうと思います。私は幼い頃、風邪をひくと、扁桃腺が炎症を起こし大きく腫れ上がって苦しんでいました。すると祖父は、私の喉に暫く手を当て、目を閉じて祈っているような雰囲気でした。そして「うん!すぐ治るぞ!10分もすれば大丈夫だ」本当に10分くらいたったら見事に痛みがとれていたものです。私の「脳」は祖父の言葉に見事にだまされていた…ということでしょうか(笑)

 昔から日本には“言霊(ことだま)”という言葉があります。言葉には不思議な霊力があり、ポジティブな言葉もネガティブな言葉も、その言葉を発すると、その人には勿論、それを聴いている人にも、深い影響を与えていくと言われています。だから子育ての上でとても大切なことは、子どもの心に、恐怖心や不安をあおるような言葉はできるだけ避けて、その子の素敵な行動・言動に目を向けて、ポジティブな言葉がけをしてあげることがとても大切です。なぜなら、その子はそのままを受けとって「脳」に印象させるからです。

いくつになっても“自分は若い!”という自己暗示は重要である。実際、
人間は暗示にかかりやすい動物である…(中略)若々しさが保たれると、
心の老化病である老人性痴呆は発症しない
松澤 大樹


*次回のコラムは5月20日前後の予定です。

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2020年3月20日金曜日

脳にいいことだけをやりなさい(その2)

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脳にいいことだけをやりなさい
マーシー・シャイモフ
Column 2020 No.82

 コラムNo81では下記1~2について触れました。今回は下記3から続いて書いてみたいと思います。

1 脳は楽しいことが好き
2 脳は刺激的な学習をすることが好き 
3 脳の衰えを老化のせいにしない~脳は齢を重ねても育ち続ける~
4 愛は脳を元気にする
(※No5以降は次回のコラムに続きます)
5 脳の傷は癒せる
6 脳はだまされやすい
7 脳は支配できる~脳は書き換えることができる~


3 脳の衰えを老化のせいにしない~脳は齢を重ねても育ち続ける~

 前コラム(No81)で取り上げた医師の山田規畝子氏は高次脳機能障害を発症し、その障害と苦闘しながらも、この環境のなかで、この状況の中で何ができるかを模索し続けました。症状のために、何か思い出しにくいことがあっても、決して諦めないで、脳の中にある記憶の部屋をかき回して探す…と。そして齢を重ねた脳でも、障害をもった脳でも、必ず学習する…と述べています。

 さて今回は「脳の可塑性(かそせい)の追求」というテーマの研究活動に軸足を置き、講演活動や著書の出版を通して「脳」の神秘を面白く解かり易く伝えている、池谷雄二氏の著書より学んでみたいと思います

20歳あたりで脳神経のネットワークはだいたい完成する。
ところが、その後は成長が止まってしまうのかというと、決してそうではない…。
それ以降も、学習や経験を生かして脳は、新しいネットワークを創っていく。
このように脳が生涯にわたり変化していくことを、「脳の可塑性」といい、
ヒトは人生で得た色々な経験や知識を、脳回路に蓄えることで、
ネットワークをカスタマイズしていく。

 希望ですね! 可塑性があるということは、頭の良し悪しは遺伝子で決まる…といった、いわゆる支配的だったその論理を、ある側面くつがえすものでもあります。つまり「脳」には可塑性があるから、学習や訓練によって、生涯にわたり変化をしていく…というわけです。 しかし脳の神経細胞は再生はされないし、しかも加齢と共に、少しずつ減少していくものでもあります。しかし“このことと、脳の機能が衰えることと混同してはいけない!”と、彼は述べているのです。

加齢によって減少する神経細胞は、生理学的・解剖学的にいえば、
千数百億個の神経細胞のうち、極めてわずかなものに過ぎない。
これまで“脳の老化”とみなされていた説には、
統計的な手法によって、生み出された幻影も多く含まれていると言える

 私自身、かなりの齢を重ねて、何かの折に、記憶力の衰えを感じたり、若い頃のような勢いや、ときめきの感情の衰えを感じて愕然とすることがありますが、脳の働きの真実にふれると、“なんと我々人間は、神秘と可能性に溢れた存在なんだろう!命のある限りその可能性を信じて、地球次元を去るまで、尊厳性のある生き方をしていきたい…”と改めて身に沁み、感じ入ったことでした。

脳は筋肉と一緒で、鍛えれば鍛えるほど強くなる
ホワン・ルイズ


4 愛は脳を元気にする

 脳科学者の松本 元氏(1940~2003)は 脳で行われる情報処理が、明らかになるにつれて、愛や意欲といった「情」の持つ意味が科学の言葉で語れるようになってきた…と述べて、次のように語っています。

私は脳の構成的研究によって初めて、脳研究から、心の理解が可能に
なってきたと考えている。脳の構成的研究アプローチによって、
「心」を具体的に説明する可能性が見えてきた

 彼は著書の題名に「愛は脳を活性化する」といった大胆な命題を掲げています。欲求段階説(コラムNo15)で有名なマズローも、生まれつき備わった“愛情欲求”はきちんと満たされないと、次の成長欲求には向かえない…と述べています。脳科学者の松本 元氏は、「脳」という見地から見ても、特に乳幼児期に愛情が満たされないと、脳の発育(神経回路の整備)不善となり、免役活性の低下にもつながり、いのちを失ってしまうことさえも起り得る…と警告しています。

 茂木健一郎氏も講演の中で「子ども時代に安全基地が創られる必要がある」と述べていました。安全基地とは、愛溢れる親との“絆”ができていて、子どもが、いつでも帰れる心の拠り所となっている場所です。私自身「親業」というセミナーの中で、子どもを育てる上で、親の愛情がどれほど重要であるか…を伝えている者にとって、両氏の考えには深い共感があります。

 松本氏が、脳と愛について考え始めたきっかけは、身近な人の交通事故だったようです。当時15歳だったN君は、下校時に自動車事故により、右大脳半球の広範部(前頭・側頭・頭頂)の損傷を負って、意識不明の大重体となり、医師からは「植物人間となる可能性が非常に高い」と宣言されました。しかしN君の家族は、決して諦めず、事故後から意識不明の彼を集中治療室に入れたままにしないで、ベッドサイドで毎日の大半を共に過ごし、愛の言葉を掛けながら、特に損傷の激しい左半身に心を込めて、スキンシップを続けたのです。こうした献身的な看護の結果、N君は1ヶ月半後に、奇跡的に意識を回復し、結果的には、左半身もほぼ正常に回復して、大学に進学し、普通の社会生活を送るに至ったのでした。

 「人の脳細胞は胎児期を過ぎると、分裂・分化はしない。従って、いったん壊れた細胞は再生はしない。しかし脳が損傷を受けてその機能が失われても、外部状況に対する快・不快の情動判断はほぼ正常に行われる。よって家族の愛情あふれる献身的介護が、N君の脳に伝わり活性化に繋がったと考えることができる。壊れた細胞の代わりに別の細胞が新しいネットワーク回路を形成して、機能を代替することはあり得る。愛情はその働きを加速するのではないか」…と、松本氏は大胆な仮説を打ち立てたのです。そして次のように述べています

脳の活性化に、最も支配的な情報は、「情」に関するものである。
一般的に「情」は低次元の心の働きと思われがちだが、
実際には「情」こそ、脳というエンジンを最もよく働かせるガソリンなのである


*次回のコラムは4月20日前後の予定です。

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2020年2月20日木曜日

脳にいいことだけをやりなさい(その1)

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脳にいいことだけをやりなさい
マーシー・シャイモフ
Column 2020 No.81

 1月の中旬、脳科学者の茂木健一郎氏が来広、講演会がありました。脳に少なからず興味を持つ私は、早くから申し込みをして参加しました。1時間半、ユニークな観点から、ユーモラスな語り口で、脳の働きについてなかなか興味深く話されました。

 “脳は目新しいことが好き。生きることを楽しんでいる人の脳は活性化している…それには中枢神経系に存在する神経伝達物質であるドーパミンが影響している。ドーパミンは生きる意欲を促し、達成感・爽快感・歓び・感動をもたらす。ドーパミンを出すためには、意図的に、やりたいこと新しいことに、挑戦することがカギ…”辺りの話題が大変印象的でした。

 私は早速、ずっと以前から求めていた、茂木氏の本…他、他の学者の脳に関する数冊の本を取り出し、すべてもう一度読み返しました。冒頭のフレーズは、茂木健一郎訳、マーシー・シャイモフ著「脳にいいことだけをやりなさい」の書の題名からの引用です。次のフレーズは、その本の訳者の茂木氏の言葉です。

どんな手を使ってもいいから“楽観回路”“私は幸せ回路”を働かせることが
ポイントです。何せこの回路が、元気できちんと機能していれば、
人生すべてがうまくいく…と言っても過言ではありません

 親業や、親業が主宰する人間関係講座では、“欲求充足”すること、つまりやりたいことをやる、心が喜ぶことをする、ということを大切に考え、理論のベースに置いていますが、茂木氏いわく、実は“わくわくと生きていくことは、脳がそれを欲しているのだ”というフレーズに接して、親業も、脳科学的なアプローチをとっていることに改めて気付き、なるほど!と、膝を打つ感じがありました。

 手持ちの、脳に関する本を読み返して、大変興味深いので、私なりのフレーズで8項目に連ねて、脳のことを纏めてみることにしました。次回のコラムはその続編になると思います。

1 脳は楽しいことが好き
2 脳は刺激的な学習をすることが好き 
(※No3以降は次回のコラムに続きます)
3 脳の衰えを老化のせいにしない~脳は齢を重ねても育ち続ける~
4 愛は脳を元気にする
5 脳の傷は癒せる
6 脳はだまされやすい
7 脳は支配できる~脳は書き換えることができる~


1 脳は楽しいことが好き

 楽しく幸せな回路を働かせると“脳の活性化”に大きく影響を与えていくようです。楽しむと、脳からエンドルフィン・セロトニン・オキシトシン・ドーパミン…と言ったような前向きな気持ちになる化学物質が分泌され、それを細胞が受け取ると、私たちは幸せ感に満たされて、脳がさらに活性化に向かうようです。だから、歌を歌ったり、ダンスをしたり…何でもいい、自分の心がわくわくすることをやることの意味・大切さがあるのですね。

 私の友人に、とても楽しみ上手な人がいます。80歳を過ぎた女性ですが、100数名の会員を持つ、某“エッセイ同人誌”の編集長です。「生きていれば、楽しいことがいっぱいあるよね!」…が彼女の口をついてよく出てくる言葉です。彼女の周りの友人は、色々なジャンルの人たちで、年齢も30代40代50代…と様々です。「ちょっと疲れたわ!」と言いながらも、おつき合いを心から楽しんでいます。頭脳は明晰で、お洒落で、年齢を全く感じさせません。いわゆる脳科学者の言う、ドーパミン…等の化学物質が起動している人物でしょう。

成功が、幸せのカギではない。幸せが、成功のカギなのだ。
今やっていることが好きになれば、成功はおのずからもたらされる
アルベルト・シュバイツアー


2 脳は刺激的な学習をすることが好き

現代のメデイアの中で流布している快楽主義は、チョコレートを口に入れれば甘い…程度の快楽主義の単純な図式にとどまっている。雑誌などに掲載されている記事も、贅沢なレストランや、リラックスできるスパと言ったようなあまりにもストレートな快楽の提示だけである。そのような現代においては、脳の中に潜んでいる「学び」に関わる快楽原理の奥深さが見えにくくなっている。私たちは、“快楽という井戸”を深く掘ってみることを、忘れてしまっている
茂木健一郎

 私自身、入学試験や学校の期末試験での勉強には、あまり喜びを感じたことはありませんが、自分の興味あるサークルでの学びや、好きなジャンルの本に出逢うと、時間の経つのも忘れて夢中で読み進む、あの充実感・ときめきは、何にも勝る喜びでした。茂木氏の言う、いわゆる真の快楽原理を生きていた気がします。

「…単に嬉しいことが続けばそれでいいというわけではない。ある程度のメリハリがなければドーパミンも放出されないし、強化学習も生じない」と、茂木氏は述べています。確かに、一人ひとりの中に存在する“成長欲求”が満たされる歓びは、必ずしも安易なもので満たされるとは限らないと思います。読書はともかく、人生万般、すべての体験からの学びには「苦」もあり、「痛み」もあります。しかし、それら苦労・痛みを体験し乗り越えたときに、初めて得られる魂からの喜びこそが、茂木氏のいう、脳が喜ぶ強化学習に繋がるのではないでしょうか。

 医師の山田規畝子氏は33歳の時、脳出血により脳梗塞を併発、高次脳機能障害を発症しました。彼女は著書「壊れた脳 生存する知」(講談社)の中で、“どんな脳でも学習する”…と述べており、以下はその一節です。

“忘れっぽくなっちゃったわ”と、老化のせいにしないで、思い出そうともがくべきだ。もがく習慣をつけておくと思い出すことがうまくなるような気がする。記憶を引っ張り出す糸口が、聴覚だったり、視覚だったり…と、人それぞれだろうが、思い出そうとするために、脳の中の記憶の部屋を、かき回して探すのだから、脳が一生懸命働くことは想像に難くないだろう

 脳には、まだまだ興味深い真実が横たわっています。次回のコラムを楽しみに!

*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

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