2021年8月20日金曜日

心の虚しさを抱き容れる

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Column 2021 No.99

 表情が見えないマスクの群れ、呼吸が感じられないオンラインでのやり取り、和気あいあいと飲み合うことも久しくご無沙汰。心待ちにしていた友人とのランチも「どうぞ黙食で」とある。これをそのまま守っていたら、人と人とはいったいどこで繋がれるのだろう。

 心配な状況を挙げればきりがありません。まさに寒々とした時世です。このような不確かな世の中にあって、自分を見失わず、凛として生きていくために、一体私たちには何ができるのでしょうか。この不安な流れは当分収まることは見込めないし、誰に期待することもできません。

 今回のテーマはコロナで浮上した私たちの心の中にある「虚しさ」について考えてみたいと思います。私も時折訪れるこの虚しさを持て余すひとときがあります。何だか虚しい。何だかつまらない…と。私たち一人ひとりが、この虚しさといかにつき合い、心穏やかに生きる喜びを失わないで生きていくのか…は、特にいま大切な課題であるような気が致します。

 カウンセリングの場での体験です。生きる虚しさを感じている人々は、自分のハート辺りに空洞を感じると表現する人があります。固まりがあるという人もあります。そして無意識にこの空洞を埋める為に、アルコールに依存したり、誰かに愛されていることで、虚しさを忘れたいと恋愛に依存したり、働き続けることで自分の中の虚しさから逃れたいと仕事に依存したり…。依存の形には色々ありますが、虚しさを忘れたい、虚しさから逃れたいという心理だと言われています。多かれ少なかれ誰にもあるもので、無意識の穴埋め作業です。しかし何かに依存することで虚しさを埋めることは、多くの場合は難しいでしょう。

人生の答えなんて考えてわかるもんじゃない。ただその時その時を
ぎりぎり生きている奴だけにその答えは見えてくるんじゃないだろうか
藤本 義一

 その通りだと思います。彼が言うように頭で考えても答えはやっては来ません。落ち込んだままでいい、虚しいままでいい。とにかくわけがわからないままでいいから、何か行動を起こすこと。無心に行動をしているうちに、いつのまにかエネルギーが動き始める…という体験を私もしています。“何でもいい。行動をしてみること”は虚しさの対処法のひとつだと思います。

悩まない人があったとしたら、
それはもしかしたら人生じゃないかもしれない
伊集院 静

 人生は幸せであるべき、幸せであらねばならない…と、私たちはどこかで“幸せこそが人生!”といったような定義をもっていないでしょうか。このような理想を掲げることが、満たされない感覚、慢性的な不満足感の中に漂ってしまう原因になっているような気がします。人生には色々なことが起きてきます。仕事で挫折することもあれば、人間関係で挫折することもいっぱいあります。“人生幸せであるべき”といった過剰な期待が、実は虚しさや不安を増幅させてしまっているかもしれません。

 私たちは確かに人生を楽しむために生まれてきたのだと思います。そして自己実現を最終目的として生まれてきているのだと思います。その目的に向かうために、私たちの魂は、歓びの感情も悲しみの感情も、怒りの感情も憎しみの感情も、虚しさの感情も、体験して味わって気付いて、魂に落とし込んで、そして生きる智慧にしたい。つまり人生を深く生きて、自己実現に向かいたいと願っているからこそ、色々困難な人生をも無意識に引き寄せて体験し、学ぼうとしているのだと思います(コラムNo15)。私たち人間は想像以上に、忍耐と踏ん張りをもって、自己実現に向かって生きている勇気ある存在なのです。

 いま高齢者を襲う虚しさが論じられています。確かに老いるということは、人生の四苦と言われる「生老病死」すべてが関わってくるわけですから当然と言えるでしょう。若い時には理解できない深刻な虚しさの中で、しかも疾病・貧困・孤独と闘いながら、残された人生で自分は何ができるのだろう。自分に何が求められているのだろう…その問いに真剣に対峙している高齢者は多いと思います。

 私自身もその年齢の域に入り、ときに襲い来る虚しさと闘いながら「残された人生で何ができるか」を真剣に求めています。そして日々このような気持ちを大切に生きていこうと思っています。

*生きるということは当然“虚しさと共歩き”なのだと抱き容れる
*新しい体験を興味津々で迎え、今日の日を私なりに思い切り楽しむ
*無理をしないで一日一日を、とにかく感じて、そして生き切る
*社会とのつながりを、何かの形で保ち続ける
*“自分軸”をいつも意識して、決して情報に振り回されない
*周りに過剰な期待はしない。そして決して人生を諦めない
*どんな状況にあっても自分を“無条件に赦して” “無条件に愛して”生きる
*見えない大いなる世界、サムシング・グレート*をさらに理解して、生活の中に生かして生きる(* “サムシング・グレート”は、遺伝子オンの生き方で有名な分子生物学者 故 村上和雄氏の造語)

幸せの中で生きている人は、どの人も、大きな力とのつながりを
感じていて、生きていることの感謝と驚きと人智を超えた力への
畏敬の念を持っていることが共通しています
マーシー・シャイモフ

 山下義一氏の「109歳 私の幸福論」を読みました。山下氏は111歳でご逝去。周りに甘えず、自分のできることをして、命尽きるまで社会に貢献した人です。

いつまでたっても何歳になっても「われは咲くなり」の気分です。
現在109歳になりますがその気持ちはかわりません
山下 義一

*次回のコラムは2021年9月20日前後の予定です。

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2021年7月20日火曜日

慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中に

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慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中に
ダライ・ラマ 14世
Column 2021 No.98

 慈悲の心と、人を愛する優しさを心の中にもっていれば、
 自然と何かがあなたの内面にある扉を開いてくれます。
 それを通じてあなたは他の人々とたやすく心を通わせることができるのです。
 その温かな気持ちは人の心に開かれた心を生み出すのです。

 ダライ・ラマの言葉です。私は仏教用語であるこの「慈悲」という用語には、どういう意味合いがあるのだろうと、ずっと気になっていました。辞書によると、
“仏が衆生(生命あるすべてのもの)を憐れみ、苦を除き楽を与えようとする心”…と、説明しています。「慈」は母親が子どもを愛するような慈しみ。「悲」は衆生の苦しみを取り除いてやりたいという仏の憐みの心…とあります。

 解釈を見ても、やはりちょっと難しいな…と思いました。私流に解釈すれば、「思いやり」「心づかい」「慈しみ」「包み込む愛」…これらを一緒にしたような意味合いではないかなと思いました。

目の前の人を助けること。その人が生まれてきてよかった
と思ってくれるために自分は何ができるかが大切なのです
マザーテレサ

 マザーテレサは、病に苦しむ孤老の人や、助けの手が届かない、死が近い路上生活の人々…を、無条件に受けいれて、その人が安らかに逝けるように、最後の介護をして、一人ひとりを心を込めて看取り、見送った人です。マザーテレサの行動の底辺には、確かに「慈悲心」である思いやり、慈しみ、愛…が流れているのがしみじみと伝わってきます。慈悲の心を生きた人は、なんと気高く美しいのだろう…と、心打たれます。

 東日本大震災時の人々の行動を(報道から)思い出すことがあります。夫や妻が濁流にのまれ、自分自身がぎりぎりの状態にありながら、周りの人々を本気で気遣う人々の姿…。また急ごしらえの避難所として場所を提供し、そこにあるものを惜しげもなく差し出して、被災した人々をねぎらっていた旅館。また震災からわずか5日後、“こういう時こそ地域住民の足になるべき!”…と、被害を免れた区間を無料で運転再開した三陸鉄道。壊滅的に破壊された街中を走る列車は、人々に大きな希望を与えたと言います。お年寄りの方々が、走る列車の姿が見えなくなるまで、子どものように手を振って感謝を現わしている姿がとても印象的でした。

 自分自身の状態が身いっぱいの時ですら、人は「慈悲心」で、周りの人々をこんなに大きく包み込むことができるんだな…ということを思うとき、人間の“性善説”(人が持って生まれた性質は善であるという考え方)を信じたくなります。

今日は勘弁してくれたまえ。1文(金銭)の持ち合わせもないんだ。
こう言いつつ詩人は乞食の手をぎゅっと握った。
乞食はどんな大金をもらうよりも、詩人の手のぬくもりを感謝した
ツルゲーネフ

 ツルゲーネフはロシアの小説家です。作品名は失念したのですが、彼の作品の中のこの一節に感動してメモを残していました。この一文を再び読んだとき「慈悲心」とは、包む愛ではありながらも、全く上下関係がなく相手の心とひとつになっていく。だからこそ、相手に受け取ってもらえるんだな…ということを感じたことでした。前回、「無条件の愛」(コラムNo97)について書きましたが、無条件の愛の意味合いが、私の中でさらに深まりました。

他人に対する思いやりと共感は
私たちが差し出せる最大の贈り物です
タルサン・トルク

 私の中にある慈悲心(思いやりとか共感)が、周りの人々に、いつでもスッと差し出せるように、さらに自分自身に優しく、さらに自分自身へのジャッジやバッシングをやめていきたいと思いました。なぜなら「慈悲心」も自分自身への愛や思いやりから出発して、はじめて周りに及んでいくものだ…と感じているからです。

 しかし心の中にどんなに愛が溢れていても、表現しなければ相手には伝わりません。どんなに優しい気持ちがあっても表現しなければ、あなたの中の優しさは伝わりません。慈悲の心である「思いやり」「心づかい」「慈しみ」「愛の心」は、あなたの言葉や行動に現されて、初めて相手に伝わるものなのです。

「こころ」は誰にも見えないが、「心づかい」は見える。
「思い」は見えないけど、「思いやり」は誰にも見える
宮澤 章二

*次回のコラムは2021年8月20日前後の予定です。

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2021年6月20日日曜日

「無条件の愛」ということ

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Column 2021 No.97

 このような広く深いテーマを選んだことに自分で戸惑っていますが、なぜか今考察してみたいテーマでもありました。私たちはみんな、実は「愛」を魂の滋養にして生きているのではないでしょうか。幸せな人は、親を始め周りの人から無条件に愛されたことから本当の愛の形を学び、それが自分の魂のエネルギーや歓びに繋がり、魂を通して「他者への愛」へと広がっていった人たちだと思います。

 「無条件の愛」とは、条件付きの愛ではなく条件を付けない愛だということ。つまり、自分自身や相手の存在に何の価値判断もしない。善や悪、正しい・正しくない…という見方もしない。ただ、あるがままのその人でいることを赦している状態です(コラムNo39

こんな詩があります。

     いい子
 宿題をちゃんとやればいい子
 百点をとればいい子
 嫌いなものも食べればいい子
 朝早く起きればいい子
 お行儀が良ければいい子
 お使いに行けばいい子
 文句を言わなければいい子
 お母さんの言う通りにしていればいい子
 いつも条件付きでいい子
 僕がぼくのまんまでは いい子ではないんだなあ
 六浦 基 「カウンセリング詩」より

 “親に迷惑を掛けたり、恥ずかしい思いをさせている僕だけど、これが本当のぼくなんだよ!そのまんまの僕ではいけないの?”…と問いかけている詩です。親に気に入るようにしていれば愛されるけれど、気にいらないことをしたら、うとまれて、もしかしたら見捨てられるかもしれない…子ども達はそういう恐れを持って生きているかもしれないのです。無条件に与えられるべき「食」ですらも、つい不用意な言葉を発してしまいます。「誰のおかげで食べれると思っているの!」…のように。色々な側面で無意識に子どもに恩を着せながら育ててはいないでしょうか。

 そんな環境の中で育った子ども達は、とても自己価値感が低くて自信がなく、極端に言えば、生きていることが申し訳ない…という気もちまで引きずってしまいます。実は私たち大人も同じような環境の中で育ってしまったからこそ、無意識に子ども達にそのような教育を施してしまうのですが…。

 新しい時代が到来しようとしている今だからこそ、子ども達の心の中に、もう一度「無条件の愛」を伝え直してあげたい…。そして無価値感を抱いたまま大人になってしまった私たちをも、もう一度「無条件の愛」で包んであげたい…と切実に思うのです。

 「あなたのありのままを受け入れてるよ」とメッセージで言うのは簡単ですが、 口で伝える正論は虚しく響くだけです。親業では「無条件の愛」が強力に伝わるコミュニケーション「能動的なきき方(共感)」をお勧めしています。幼い子(7ヶ月)の事例でご紹介しましょう。親業訓練協会の事例です。

<状況>以前は転んで頭を打ったりしたとき「痛くない痛くない!お外に何か見えるよ!」と痛みをごまかしていた。そして泣き止まなかったら「男でしょ。泣かないの!」…と。こうした対応が当たり前だと思っていました。学んでからは

 子 (大声で泣き叫ぶ)「え~ん、え~ん」
 親 「頭を打って痛かったねえ」
 子 「え~ん、え~ん」
 親 「痛かった、痛かった(頭をなでる)」
 子 (泣きやんでくる。目に涙)
 親 「涙が出るほど痛かったねえ。(頭をなで続ける)びっくりしたね」
 子 (泣きやみ一人遊びに熱中する)

<母親の感想>
相手の気持ちを受けとめることの大切さを実感しました。ごまかしや命令で泣きやませたら、一見解決のように見えても、子どもにどこかストレスがかかっているだろうと思いました。“この痛みを解ってもらえないもどかしさ、やるせなさが心に残っていく”あるいは“痛みを感じない人になってしまうかも”と思うと、怖くなりました。

 泣いても辞めなさいと言わないでみる。子どもが今感じているであろう感情を、そのままに感じてあげて共感でフィードバックをしてみる。いつもできるとは限りませんが、1日1回でもやっていくことで、子どもは“僕は僕のままでいいのだ”と「無条件の愛情」を、少しずつ確実に感じ取っていくのです。それはやがて“自己価値感”や“自立心”へと、繋がっていきます。

 しかしこのコミュニケーションスキルも簡単そうですが、実は簡単ではないのです。親自身に、ある程度の自己価値感や自己受容能力がなかったら、形ではできても無意識に、つい自分の思い通りに子どもを動かそうとしてしまいます。

まず自分の幸福を大切にした上で、
相手に自然に拡がる愛が本当の“無条件の愛”です
リリ

 自分を幸せに出来ない人が他者を本気で愛することは難しいのです。だからまず自分自身を愛し、優しく接してあげましょう。私たちの多くは、他者の心の動きにはとても敏感ですが、自分自身の心の動きや感情に対しては、案外鈍感で、無神経な接し方をしてしまいます。

 例えば自分が何かに躓いて転んだとします。“つまらんねえ。ちゃんと前を見てないからでしょう!” 痛い上にこんな二重パンチを心の中で投げたりすることはありませんか。痛くてとてもせつない時に、本当は一番優しさが欲しい時に、とても自分に厳しく、憎悪と誹謗で接してしまいやすいのです。ほんの少しでもいいから、私たちの心にも愛と慈しみのまなざしで「痛かったねえ…。びっくりしたねえ…」と、優しさを表現してあげたら、私たちのハートはどんなに安らぎ、癒されていくことでしょう。

 まずありのままの自分自身を愛してあげることに心を砕いていきませんか。未熟な自分自身をそのまま赦してあげることに心を砕いていきませんか。私はこんなアファメーションを日課にしています。

どんな自分も無条件に愛します
どんな自分も無条件に赦します

*次回のコラムは2021年7月20日前後の予定です。

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2021年5月20日木曜日

あなたのコアに響くキーワードは何ですか

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Column 2021 No.96

 あなたが惹かれる言葉や、心に響く言葉は、あなたが生きていく上でのヒントであり、あなたの人生を導いてくれるキーワードかもしれません。ずっと以前、月刊誌「致知」に掲載されたある記事が、私の心にとても残ったので、切り抜いて置いていました。こんな一文でした。

 「…侍ジャパンの監督を務めた小久保裕紀さんが、イチローについて忘れられない思い出があると⦅毎日新聞⦆に書いていた。小久保さんはプロ二年目に本塁打王を獲得。だが天狗になり、翌シーズンは散々。一方イチローは三年連続の首位打者へ驀進中。その年のオールスターゲーム、外野を二人でランニング中に彼に訊いた。“モチベーションが下がったことないの?”するとイチローは私の目を見つめながら“小久保さんは数字を残すために野球やっているんですか?”と言った。“僕は心の中に磨き上げたい石がある。それを野球を通じて輝かしたい” 自分は何と恥ずかしい質問をしたのかと、顔が赤くなった。彼のひとことで私は “野球を通じて人間力を磨く”というキーワードを得た…」

 その記事を読んだとき、私の心にも同時にスイッチが入った感じでした。生きる上での私のキーワードは何だろう…と、改めて考えるきっかけになったのです。私の中のコア(核)が欲しているものは何だろう…。一度しかない人生に何を求め、どう生きたいと思っているのだろう。それをキーワードにしたら何だろう…と。

 ある人は幼い頃から次のようなキーワードを持っていたようです。
「お金持ちになる」「自由を手に入れる」をキーワードにして
幼少期の頃から強く意識していた結果、私はデザイナーとして成功したのです
作者不詳

 キーワードを模索していたら、何の脈絡もなくふっと「わたしOK!」というフレーズが思い浮かびました。取り敢えずはこれをキーワードにして、生きてみよう…と決めました。自分の思い込みを検証しながら、捨てるべきものは捨て、新しい自分をキーワードに込めながら「自分のペースでゆっくりと成長をしていいのだよ…わたしOK!」と、私が自分自身に許可を与えたのです。このフレーズは私の魂が求めていたのでしょう。自信が持てないとき、迷いが起ってきた時に、私に力をくれるのでした。

 小久保氏のメッセージで突如、スイッチが入った私ですが、確かにキーワードは、その都度、生き方に気づきを与えてくれ、自分で自分を励ますことができる効果的なツールだと思いました。あなたはどんなキーワードを持っていますか。無意識を含めて自分なりのキーワードを暖めていらっしゃるかもしれませんね。私が日頃大切に考えているフレーズをランダムに並べてみました。キーワードを捜すヒントとして参考になるかもしれません。

 「自由」「夢」「歓び」「可能性」「諦めない」「愛」
 「無条件の愛と赦し」「本気」「元気」「生きる」
 「光」「勇気」「感謝」「安らぎ」「受容」「個性」
 「祈り」「わくわく」「決断」「好奇心」「希望」
 「優しさ」「創造」「発見」「自信」「自分大切」「神」
 「無限」「宇宙」「凛として生きる」「直観」「遊び」
 「継続」「待つ」「自分軸」「平和」「未来」…等々

 ヨガなどではエネルギーは、私たちが目や意識を向けている方向に流れていく性質があると言っています。よって、あなたの人生の目標設定や、キーワードを定めると、エネルギーはそこに流れ込み、人生は自然にその方向に動き始めて、奇跡的に想いが実現する…ということも事実あるわけです。

心がすべてである。あなたは自分で考えたものになる
仏陀

 他者があなたのことを何と言おうと関係はありません。自分がいつも何を考え、何を感じて生きているのか、それが自分の人生を創っているのです。なぜなら自分の人生の創造者は自分だからです。自分をどう見ているのか、どうなりたいのか…自分の人生における定義、自分自身に対する定義…が、無意識ですが自分の人生に起動していくのです(コラムNo19

自分は自分の主人公。世界でただひとり自分を創造していく責任者
東井 義雄

 もしも今、あなたの人生があなたにとって満足できるものではないとしたら、新しい定義を創り直しましょう。いつでも生き直すことができるのです。そこからまた新しい人生が始まるのです。私たち一人ひとりには、自分が生きたい人生を生きる権利があるのです。その時にあなたが自分のために選んだキーワードはきっと役に立つでしょう。

あなたの心に従って行きなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく
ボブ・デイラン

あなたの人生の代わりに生きてくれる人はいない
ドリー・バートン

*次回のコラムは2021年6月20日前後の予定です。

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2021年4月20日火曜日

「断わる」行為は“自分大切”のコミュニケーションのひとつです

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Column 2021 No.95

 誰かに何かを断らなければならないことは、私たちが生きている日常の中に度々起こってきます。はっきりと断れない為に、買いたくない品物を買ってしまったり、行きたくもない所に行く羽目になったり、オーバーワークなのに仕事を引き受けたりして、悶々とする結果になったことはないでしょうか。

 「NOと言えない日本人」などと他の国からは揶揄(やゆ)されています。日本には、古(いにしえ)から礼節を重んじ、他者を尊重する文化があります。その上、日本人は一般的に控えめでシャイな国民性をもっています。よって結果的に“NOを言うことは相手に失礼なこと…”という観念があり、“NO”へのこだわりが、多くの日本人の魂に刻み込まれてしまっているのかもしれません。

 しかし他者を尊重するという背景には、相手に嫌な思いをさせたくない…は勿論ですが、嫌われたくない…という恐れも潜んではいないでしょうか。

“やります”“できます!”…と、なぜ安請け合いをしてしまうのか。
それはあなたの中に“好かれたい病”があるからです
中田 敦彦

 一度しかない私たちの人生、人に嫌われたくない…という理由だけで安請け合いをして、あなたの大切な時間を費やし、自分が本当にやりたいことをやらないで人生が終わったとしたら、何と悔しいではありませんか。断ることへのこだわりの理由はまだあります。

 断ることへの罪悪感
 相手の気持ちを汲み過ぎる
 断ることは“我がまま”だと思える…等々

 断ることは決して我がままではありません。罪悪感も要りません。自分の人生に責任が持てるのは自分自身だけです。本当に断りたいときに、率直に断る意志を表現していくことは、自分の人生を意義あるものにし、満足できる人生を創造する上で大変重要なコミュニケーションなのです。

 気の進まない誘いなど、お断りしたいな…とあなたが思うとき、相手に不愉快な思いを与えずに断る方法を簡単にご紹介しましょう。親業訓練協会主宰の「人間関係講座」で提供しているスキルの一部です。

 断る“理由”と“意志”を相手に明確に伝えます。例えば
「せっかくお誘い頂いたのですが、仕上げたい仕事がありますので(理由)行かないことにします(意志)」
「いま病人を抱えていますので(理由)役員は引き受けたくない(意志)のです」

 これからもおつき合いを続けていきたい人へのお断りは、このように必ず理由を伝えることを忘れないで下さい。付き合いの無い人からの勧誘などには、むしろ理由をつけないで意志だけで断ります。理由をつけると、それに乗っかってこられる羽目に陥ることがあります。
「貴金属は買うつもりはありません」
「興味がないのでその集まりには参加しません」 
「寄付はお断りします」

 一般に断りにくいとされているのがお金の貸し借りです…。

人は通常、金を貸すのを「断る」ことによって友を失わず、
金を貸すことによって、たやすく友を失う
ショーペンハウエル

 「親への仕送りや、新築のローンの支払いで手いっぱいなので(理由)お金は貸したくない(意志)のです」

 お金を“貸す”“貸さない”はその人の判断ですが、情に流されたり嫌われることへの怖れから動いてしまうと、ショーペンハウエルのいう、落とし穴に落ち込む結果になる可能性は大きいのです。

 さて、子どもがまだ小さい頃、ママ友のひとりがこんなことを言っていたのを思い出しました。「先日、近所で親しくしている奥さんとお店でばったり逢ったのね。そしたらその人が“午後から~があるの。子どもを預かってくれない?”って言うの。急なのでちょっとパ二くってしまって、つい「あ・あ~いいわよ…」と引き受けてしまったのよね。後で思い出したんだけど自分にもその日出掛けていかなければいけない用事があって、預かった子も一緒に連れていかなければならない羽目になったのよ。何だかむしゃくしゃしたわ…」

 焦って返事をすると、こういう事態に自分を巻き込んでしまうことがあります。その場では決して即答をしないことです。「ごめんなさい。予定をにらんであとでお返事させてください」と、ひとまず伝えます。ひとりになってあなた自身の本当の気持ちを感じてみて下さい。そしてあなたの本当の気持ちにぴったりとした表現で、断るなり引き受けるなりすることです。安請け合いしてしまうと、相手のこういうタイプの人はまた同じように甘えてきます。

 勿論「はい」と言って引き受けることも人間関係には必要です。しかし弱さからいつも自分に不正直に好意的な返事をしていると、やがて自分自身を見失う結果になります。

大切なのは自分への思いと他の人への思いやりが、
あなたにとって快適なバランスを保っていることです
リンダ・アダムス

*次回のコラムは2021年5月20日前後の予定です。

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2021年3月20日土曜日

自分のために笑顔をする

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Column 2021 No.94

 心からの笑顔は本当に素敵です。心からの笑顔に出逢ったら一日中幸せな気持ちになります。心にエネルギーが湧いてきます。心からの笑顔には人を元気にする不思議なパワーがあります。

 逆に笑顔の消えた顔に出逢うと、大丈夫かなあ…と心配になったり、不機嫌な表情に出逢うと、自分の気持ちも意気消沈することがあります。人は繋がっているからです。ゲーテは「人間の最大の罪は不機嫌である」と言っていますが、確かに理由もわからず身体から不機嫌を醸し出している人の傍にいると、こちらの感情も混乱し、エネルギーも衰退してきます。

 今回は“笑顔”について考察してみたいと思います。笑顔の背景には色々な動機があります。

* 相手に不愉快な気持ちを与えないように笑顔をする
* 自分の感情を隠すために笑顔をする
* 自分の気持ちを鼓舞するために笑顔をする
* 心が喜んでいるから自然に笑顔になる


相手に不愉快な気持ちを与えないように笑顔をする

 他者のために笑顔をする…これはいい人を演じている人に多い笑顔で、八方美人タイプです。しかしこれは本人がとても疲れるので、どこかでバランスをとらなければいけなくなるでしょう。八方美人的な人が、けっこう家族に不機嫌なのはそのためです。


自分の感情を隠すために笑顔をする

私は笑顔の絶えない顔は嫌いです。
そんな顔を目の前にすると、途端に居心地悪くなる。
人生笑ってばかりもいられないでしょうと思ってしまいます。
中島 義道

 本人にとっては無意識だと思いますが、自分の本当の感情に気づいていないか、気付いていてもその感情が受け入れられないと、本当の気持ちを笑顔でカモフラージュしようとします。無意識でやっている場合が多いのですが、やはり相手にどう思われるか…の怖れが底辺にあるのです。このタイプの人に、私も時に出逢うことがありますが、その人の“素(す)の顔”が見えないので、結構もどかしい気持ちになります。


自分の気持ちを鼓舞するために笑顔をする

落ち込むことがありますが、そのときあえて
笑顔を作るようにすると前向きな気持ちになれるのです
大地 真央

 他者のために笑顔をするのではなく、自分のために笑顔を心掛けることは大事だと思います。アンネ・フランクはユダヤ人迫害に逢い、屋根裏の隠れ家に住みながらそこで書いた日記の中に“つらい時の特効薬は心から笑うこと…”とあります。自分の心の不安・恐怖を、健気にも笑いで鼓舞し続けていたことが伝わってきます。


心が喜んでいるから自然に笑顔になる

 私自身もこの心からの笑顔を目指しています。自分の心が喜ぶことをして、自身の欲求を満たしていけば、人の為に笑顔を作ったり、自分の感情を隠すための笑顔をする必要もないでしょう。欲求充足をして機嫌のいい人になったら周りの人も必ず平和になります。人類一人ひとりが、真実の笑顔を取り戻していったら地球は一気に平和になるでしょう。

 さて、私は今の時世で、とてもさみしく残念に思っていることがあります。新型コロナウイルスの蔓延で、致し方なくマスクをしていなくてはならない事情に…です。講座の中でも受講者の方々はみんなマスクです。その人が今どんな表情でいらっしゃるのか分からないまま講座を続けるのは虚しいものです。友人と会ってもマスクの下の表情が見えないのは、何だか壁の前で話しているような寂しさを感じます。一日も早く平安な世相が戻ってきますようにと祈りたい気持ちです。

 一方、マスクの中はある面、外部に見られることのない安全場所です。だからマスクの下では口角を下げて不機嫌な表情をしていても分かりません。するとつい筋肉は楽な方向に流れて、皮膚は自然に下に下がってしまうことにもなりかねません。私は“日常的にマスク”…という事情の中で面白いことをやり始めました。今回は「笑顔」がテーマですが、私は“このコロナの時期だからこそ出来るだけ楽しく過ごしたい”という意図をもって、以前からマスクの下でしっかりと“ひとり笑顔”を心掛けているのです。しかし時々忘れますが(笑)

 これはいろいろな側面でとても効果的です。マスクなしではずっと笑顔をして街中は歩きにくいものですが、マスクの下なら一日中笑っていても平気です。それに不愉快なマスクでも笑顔をしていると、何だか世界がちょっぴり楽しく見えてくるから不思議です。口角もちょっと上がってきたかな(笑)…という感じです。

楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ
ウイリアム・ジェームズ

僕は人が笑ってほしい時に笑いません。自分が笑いたいから笑います
イチロー

*次回のコラムは2021年4月20日前後の予定です。

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2021年2月20日土曜日

天は自ら助くるものを助く

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天は自ら助くるものを助く
サミュエル・スマイルズ
Column 2021 No.93

 冒頭のフレーズはラテン語の古い諺で、1858年にスマイルズが「自助論」を出版し、その冒頭に引用したことで世に知られました。私自身にも、とても心に鳴り響いているフレーズです。

天は自ら行動しないものに救いの手を差し伸べない
シェイクスピア

 人間関係の中でも、その人に降りかかっている問題を自分の問題として捉え、何とか解決したい…という欲求を持っている人は援助しやすいのですが、自分で解決できないと決めて、他者に依存している人を助けることは困難です。ましてや、天(自然・見えない大いなる存在・神…等々)は自助の意志がない人を助けることはしないでしょう。その人の為にもならないからです。

 ところが、この「天」の解釈はとても難しいと思います。私の家族は私が幼い頃から朝晩お仏壇にお参りする習慣のある家でした。そして家族の誰かが「お天と様はいつも見とられるぞ!」とよく口にしていましたので、目に見えない存在のことは、よく分からないままですが、当たり前のように理解し自然に受け入れていたように思います。

 歴史に名を遺す賢者たちも、目に見えない存在を「天」という表現で現し、畏敬の念を抱いていたことが伺えます。

ひとを相手とせず、天を相手とせよ。天を相手とし己を尽くし
人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし
西郷 隆盛

また日本人にもなじみ深い故事があります。この故事に付随して、松下幸之助氏は次のように述べています。

人事を尽くして天命を待つ
出典:中国

“人事を尽くして天命を待つ”という言葉がある。まことに味わい
深い言葉である。私心に捉われることなく、人としてなしうる限り
の力を尽くして、その上で静かに起こってくる事態を待つ…

 さて「天」の解釈はひとまず置いて、「天は自ら助くるものを助く」の中の“自ら助くるものを助く”…辺りに焦点を置いてみたいと思います。西郷隆盛は“…自分ができる限りの力を尽くし、自分の非を他人のせいにしないで、自分がいま、誠心誠意尽しているか否かを天に尋ねよう…”と言っています。

 松下氏は“…自分の利益だけを考えるのではなく、自他を想って自分が出来うる限りのことをして、あとは心静かに起る事態を迎えよう…”と。いずれも他者に依存せず、自分自身の責任において、出来うる限り力を尽くしたのちに、あとは天の意思にお任せしよう…述べているのです。

自らを助けないものを救おうとしても無駄だ。ハシゴを自分で
登る意志が無いものを他人が押し上げることはできない
アンドリュー・カーネギー

 「シンデレラコンプレックス」という用語がメジャーになった時期があります。女性の潜在意識にあると言われる“依存的願望”を指摘したシンドローム(症候群)の名称で、米国の女性作家コレット・ダウリングが提唱した概念です。ある日、白馬に乗った王子様が突如、あなたの目の前に現れて、惨めな境遇にあるあなたを見初め(みそめ)て、白馬に乗せて宮殿に…。つまり他者によって救われたい、守られたい…という、女性に多く見られる依存的な心理的願望を示しています。

 しかし今回の冒頭のテーマが示すように、自分自身を幸せにする力は自分にしかありません。自分の幸せを第三者に依存している人には、天は助けの手を伸ばさないであろうし、万一、玉の輿に乗って宮殿に入っても、いったんは幸せを手に入れたかのように見えても、自分自身で自分を幸せにする力量が無いので、豪華な宮殿の中で一日中「さみしい、さみしい…」と王子様に愚痴をこぼすに違いないのです。 私たちを本当に幸せにするのは王子様ではなく、私たち自身なのです。

自分の人生を主役で生きる人は、自分はこの人生で何が得たいのか。どう生きていきたいのか。自分の欲求を明確に持っています。それを満たしていく為に決して周りに期待せず、自分で果敢に行動を起こし、手に入れていこうとします。“棚からぼたもち”という諺もありますが、自分の欲求に沿って、そのぼたもちを有効に取り入れ、自身の人生を更に広げていける人であれば、そのぼたもちも意味をもってくるでしょうが、一瞬の幸運“棚ぼた”を期待して生きている人は本当の幸せを実感しないままに人生を終えてしまうことになるかもしれません。

 「依存」のループから抜け出すことが大切です。そのためには、まず自分の依存性に気づくことからが出発です。自分自身の中の「依存」という思いの習性に気づくのです。周りに起き湧くできごとは、周りが原因ではなくあなたの思いの習性があなたの人生を創っていることに、本気で気付くことです。そのからくりをとてもうまく現している寓話があります。取り上げるのは数度目ですが、再び取り上げてみます。

 ある村から新しい村に引っ越してきたA夫人が、その村で一番尊敬されているという長老に尋ねました。

 A婦人「長老さま この村の人たちはどんな人たちですか」
 長 老「前に住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」
 A婦人「とても嫌な人ばかりなので、引っ越してきたのです」
 長 老「それなら多分ここも同じです」

 なかなか示唆に富んだ寓話です。周りの環境を変えても、その人が持っている感情や、信念・定義(思いの習性)が変わらない限り、同じ環境を創っていくだろう…というわけです。自分の人生を創造できる者は、周りには決していないのです。私の人生の創造者はわたし! つまり“私の人生の主役はわたし”なのです。


*次回のコラムは2021年3月20日前後の予定です。

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