2019年7月20日土曜日

生き残れるものは 変化できる種である

生き残れるものは 変化できる種である
チャールズ・ダーウィン
Column 2019 No.74

 進化論を説いた「種の起源」で知られる、イギリスのダーウィンのフレーズです。「最も強いものが生き残るのではなく、また最も賢いものが生き延びるのでもない。唯一、生き残るものは、変化できるものである」…と。なぜ、絶滅する種と生き残る種があるのか…つまり厳しい環境の変化に、適応できた種だけが、進化を続けながら生き残ってきたのだ…と。このフレーズに出逢った時、私たち人間はどうなんだろう…とふと思いました。

 科学者であり、JT生命誌研究館館長の中村桂子氏の「知の発見」(朝日出版社)の中で、「最初に地球上に生まれた人類は600万年ほど前です。現在の人間はホモ・サピエンスと呼ばれる、ひとつの種の仲間であることがはっきりしています。その後さまざまな人類が生まれたのですが、なぜか滅びてしまい、今残っている種はひとつなのです…」の一文がありました。ダーウインの考えから言えば、人間も、やはり厳しい変化に適応できた種だけが進化を遂げ、今の私たちが存在しているのだと思うと、とても感慨深いものがありました。

世界は変化し続けている。変化しないものは何ひとつないんだ
レオ・バスカリア

 確かに、私たち周辺においても、自然環境の変化、個人の中での生活環境の変化、地域・国家・国際社会の変化…等々、私たちは日々、目まぐるしい変化の中に置かれています。特に天災を始め、身近な家族の病気・死・失業・転居・破産…等々そのストレスは並大抵ではありません。逃れることのできない、それら環境の変化に圧倒されながらも、その痛みから学び、新しい、より進化した対処方法を見つけて、人類は雄々しく柔軟に乗り切ってきました。その聡明さと変化への柔軟さがある限り人類は絶えることなく、確実に進化に向かっていくのだと思います。

 以前、何かの記事で明石家さんまさんが語っていたことが、とても心に残っています。

オレ、およそ30年、芸風ぜんぜん変わってないからね。
すごくないのよ。これはあかんことなの。
人は進化する生きものとして、神様は生んでくれたわけだから…

 凄いことを語る人だなあ…と思いました。息の長い役者さんは、やはりそれだけの哲学を持って生きている存在なんだ…と、しきりに感心したものです。さんまさんが言っているように、確かに自然も、宇宙も、人間を含めて生きものすべては、休むことなく進化・拡大し続けていると言われます。つまり、より高度なものに、より高次ものに…と、とどまることなく拡大・進化を続けているのだ…と。

 この大原則が飲み込めるまで、私は“変化する”ということには、かなり抵抗があったような気がします。変化するということは、“私はこうあるべきだ”と頑なに信じて生きてきた自分の枠組みを、外していく作業でもあるわけで、自分の枠組みを外していくということは、とても不安で、怖いことでもあったのです。

 カウンセリングの場などで感じることですが、表面上は、変化したい!…と思って多くの人は来所して来るですが、自分の枠組みを外していくことには結構、根強いこだわりがあって、決して外そうとしない。無意識ですが、本当は“変わりたくない。変わることは怖い”…と、固く思っているのです。自分自身がそうだったので、その辺りのからくりが、とてもよく解かるのです。しかし

イノベーションの戦略の一歩は、古いもの、死につつあるもの、
陳腐化したものを、計画的に体系的に捨てていくことである  
ピーター・ドラッカー

 ルカによる福音書の中で、イエス・キリスト「新しい葡萄酒は新しい革袋に…」と言っています。新しい時代を迎えるには、それまでの古いやり方ではなく、新しい時代に合った発想や方法が、絶対に必要だ…というのです。

 私たちも真に変わろう、進化しよう…と思ったら、一度自分の性癖とか、思考の傾向に本気で気づく必要があります。(コラムNo73) “気づくこと”は乗り越えることであり、捨て去ることでもあります。そこで初めて、変化・進化の“途”に就くことができるのです。その辺りの道理が理解できた時から、私は果敢に自分を見つめ、捨てるべきは捨て、失敗を許しながら新しいことに挑戦し、変容していく自分に興味を持ち、初めて人生が面白く感じられるようになりました。

 その頃から、自分の日常を見つめ直し、ワンパターン化している日常の事柄を、ちょっと変化させてみることにも挑戦し始めました。

  • 朝起きて、すべきことよりも一番やりたいことを優先順位の上位に置く
  • 掃除をしない日、料理を作らない日、携帯を使わない日、TVを観ない日、何もしない日を作る
  • 違うジャンルの音楽・書籍・絵画に触れてみる
  • お風呂に絵を貼ったり、香りを入れる
  • 「大好きな海を見たいな!」と思ったら、思い切って行動する
  • 珈琲を片手に花を眺めたり、空を眺めたり、夕日を眺める
  • 外出先から帰って、やることの順序を変えてみる
  • 仕事の出先からまっすぐに帰らず、30分から1時間、好きなカフェに寄って、珈琲を飲みながら好きな本を読んだりぼんやりする………等々

 日常をちょっと変化させてみるだけで、不思議なほど生き生きした感覚が生まれます。自分の枠組みをどんどん外してみる試みです。こんな小さな変化の第一歩が、人類の進化に無関係ではないと思い始めたのです。そして進化の“種子”は、人類ひとりひとりの想像と創造に満ちた“夢と歓び”の中にこそあるのだと気付いたのです。

ディズニーランドが完成することはない。
世の中の想像力がある限り進化し続けるであろう
ウオルト・ディズニー

*次回のコラムは8月20日前後の予定です。

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2019年6月20日木曜日

「気づき」こそが人生の宝ものです

Column 2019 No.73

 私がお伝えしている講座では、受講者の方々お一人おひとりの気づきを、とても大切にしています。講座では、内容をお伝えした後には「何か気づきはありましたか」…と必ず投げかけます。“気づき”こそが、私たちの人生の思索を深め、人生の幅を広げていくからです。受講者の方々の、受講を終わった後の感想文は、感動的な気づきに溢れています。

 父親であり、医師でもあるK・Fさんの感想文です。その一部をご紹介します。

「…講座の中で最も衝撃でありましたのは、権威・権力によって自分が育てられ、それに影響、また依存していたことです。勉強ができればいい…と言うスパルタ式で教育された私は、創造性の欠如、新しいものを試すことを恐れる、事前に成功するという確信が必要…といった権威主義で育った弊害をそのまま受け、視野の狭い人生を送るようになっておりました。また反面では、自分自身も権威を振りかざし、少しでも反論されると権威を傷つけられたと言っては、腹を立てる度量のない人間であったことにも気付きました…(後略)」

 こうして受講者の中に起った気づきは、終わった後もそれぞれの中で熟成され、周りの人たちとの関係、自分自身の生き方の変容に繋がり、それからの人生を深く豊かにしていくのです。それは学んだ内容は勿論ですが、その人の中で起きてきた“気づき”が変容をもたらしていくのです。最後にK・Fさんは「…この講座に誘ってくれた次女。この子に追いつくことはできないかもしれませんが、せめて背中が見える位置で、人生マラソンをのんびり走ります…」とありました。

あらゆる経験は、ひとつの目的のために起きています。
その目的とは、あなたの気づきを拡大する…ということです
ポール・フェリーニ

 わたし自身、身体的にも精神的にも弱かった母親からの影響を、乗り越えようと決めた頃、やっと自立を目指して立ち上がったものの(コラムNo19)、自分の軸はまだまだ不安定で、生きることに対して、とても不器用でした。しかも常識に欠けるところが多々あり、困ったことに、お調子者の上に、少々大胆なところもあって、それ故に、今思い出しても、赤面するほどの赤恥をかいた経験や、悪意はないのに、気づいたら人を深く傷つけてしまっていたり…。逆に深刻になり過ぎて、一歩も前に進めなくなり、鬱的になったり…と、散々の人生だったなあ…と思います。しかし…

間違いを侵してばかりの人生は、
何もしなかった人生よりあっぱれである
バーナード・ショー

 このフレーズに出逢ったとき、何だかとてもほっとしたものです。ひとつひとつ思い出すのは辛いものもありますが、でも、そのひとつひとつ仕出かした行動から、私は、何と沢山のことを学んできたことでしょう。痛みが大きければ大きいほど、気付きも大きく深いもので、それは魂に刻印されるほどのものです。それまでの、いい子で、こじんまりと生きていた人生より、まさにあっぱれであった…と、今は心からそう思えるのです。

 人生の体験に失敗はない!心地いい体験も、身を切られるような辛い体験も、私にとってはみんな、“気づきに繋がる宝もの”だった…これは痛い体験から出た、私の信念です。今の私が自分の軸を信じて生きていけるのも、他者の痛みが幾らか解かるのも、傷ついたり人を傷つけたり…そういった痛みを伴った体験を通して得た気づきが、その都度あったからこそです。

 もっとも、周りに居た大人たちから、為すべき“すべ”を、前もって教えられていたら…と、無念に思ったことは多々ありました。しかし、今では、間違いを侵す自由を認めてくれたことに、また無知のままでいる自由を与えてくれたことに、むしろ心から感謝しています。

気づくことの大切さは 気づいたことは 次にそれが起った時に
それをコントロール(支配)出来るのです。気づいていないと
あなたはそこでまた躓(つまづ)いてしまうのです
タデウス・ゴラス

 私は受講者の方に伝えてきました。「…私たちが引き起こした出来ごと・出逢う現実は、すべて自分にとって意味のあること。だから絶対に自分を責めてはいけません。責めてしまったら、責めてしまった自分をも許しましょう。大切なことはその経験から学ぶこと。つまり気づくこと。私たちは学び・気づくために、その体験を無意識に引き寄せたのですから…。本気で気付けたら、もうその出来ごとは、まっすぐに反故(ほご)行き、つまりくずかごにあっさりと捨てることです」…と。

 もっとも、学ぼう!気付こう!…と勢い込まないでも、私たちの魂は、常に「自己実現」を目指していますから、その出来事から逃げ続けない限り、魂は学んでくれます。しかし万一、私たちが逃げてしまったとしても、私たちが学び切るまで、不思議ですが、手を変え品を変えてそれを引き寄せては、何度でも体験をさせてくれます。人間は成長に向かうようにできているのです。

人生は、失敗すること、負けること、苦悩すること…の方が
圧倒的に多いのではないかと思います。
でも、それがあるからこそ、我々は成長できて、強く生きていけるんです
井上 康生 

*次回のコラムは7月20日前後の予定です。

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2019年5月20日月曜日

過去と他人は変えられない。しかし自分と未来は変えることができる

過去と他人は変えられない。しかし自分と未来は変えることができる
エリック・バーン
Column 2019 No.72

 平成の時代を見送り、新しい「令和」の時代を迎えました。昭和・平成と生きてきて、ここに「令和元年」というこの歴史的瞬間に出逢えたことに、わくわく感を嚙み締めたことでした。この「令和」の元号が日本の古典「万葉集」から引用されたとのこと。「梅の花の歌32首」の序文からの引用と聞き、若い頃に勢いで求めていたらしいその万葉集(全5巻)を取り出して探しましたが、幾らか注釈はついているものの、すべて漢字のみのいわゆる“万葉仮名”と呼ばれる用字法で書かれており、私には全くのお手上げ状態でした(笑)

 その序文の現代訳は、はせくらみゆき氏の一文から明確になりました。「初春の月(れいげつ)にして、気俶(よ)く風らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き…」新元号はこの序文の2文字から引用されたようです。新元号に関しては賛否両論あるようですが、品格があってなかなかいいな…と個人的には思っています。そして“きっといい時代になる!”…という予感です。

 新時代を迎えて、何故か冒頭のエリック・バーンのフレーズに心惹かれました。“過去と他人は変えられない”…うん、確かに! しかし、“自分と未来は変えられる!”…うん!なるほど! 新時代を迎えたこともあってか「なんと希望に満ちたフレーズだろう!」と思ったことでした。変えることのできない過去を悔やんで、自分を責めることは本気でやめよう!…と。そして他人(ひと)を変えることではなく、自分を変えることで未来を創っていこう!…と。

 私たちを不自由にしている頑(かたく)なに捉われている価値観に気づき、洗い直し、しかし大切に思っている価値観は、さらに大切にしていく…など、価値観の柔軟な捉え方・考え方は、自分自身の変容に、とても重要だと思います。

“今からでも!”と、“今からでは…”が、人生の大きな分かれ道になる
梁瀬 次郎

 私も年齢を重ねてくるに従って、うっかりすると“今からではねえ。とても…”と、夢に挑戦することに消極的になっている自分に、ふと気付きます。

なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない
ジョージ・エリオット

 先達(せんだつ)の言葉には本当に励まされます! そう!人生に遅すぎるということはないんですね。ましてや、まだ50代・60代にいる人が自分の老いを語ってはいけませんよ! 前コラムNo71で触れましたが、個人的無意識・集合的無意識…からくる不安・恐怖は、「…今さら出来るはずがない…」とあなたを脅かします。でも、潜在意識がどうであれ、どんなに不安・恐怖でたじろぐことがあったとしても、そこに今ひとつ勇気をもって、一滴一滴と、希望と情熱の新しい一滴を注ぎ、行動していかなくては、私たちの人生のストーリーは未完で終わってしまいます。

歳をかさねるだけでは人は老いない
理想を失うときに はじめて老いがくる
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
希望がある限り若く 失望と共に老いる
サミュエル・ウルマン

 近年、90歳を超えてもなお青年のようなエネルギーを、感じさせる人たちも多くなりました。彼らは、人は歳(とし)と共に老いる…という集合意識を乗り越えて、“そうであるとは限らない”…と、自分の感度の方を信頼し、人生を思い切り楽しみ、自分の位置で出来得ることをしている人たちです。片や、50歳代で、すでに老年を感じさせる人も確かにあります(コラムNo24)その違いは何でしょうか。

 それは、ウルマンが謳っているように“理想・信念・自信・希望”を抱き続け「私の人生の創造者はわたし」のスタンスで生きている人なのか、或は“周りが私の人生を左右する…”と、人任せのスタンスで生きている人なのか…の違いではないでしょうか(コラムNo70) “絶対に揺るがない安全基地”は自分自身の中にしかない…ということを知っている人達は、他者に依存しないのです。周りに起き湧く事象は、すべて自分の心の反映だということを理解しており、自分の責任において自分を磨き、研鑽を深めていくことで、人生を創造していける人たちです。

 しかし歳(とし)を重ねると、ものごとに関心が薄くなったり、情熱を失いかけることも確かにあります。しかし人生を諦めない人は、自分のその“心の危機”に気づくことができるのです。健康を取り戻すために体を動かしたり、改めて自分の心が喜ぶことを自分にやってあげることで、エネルギーを取り戻すのです。身体の健康・心の健康こそが、生きる情熱(元気)に密接に繋がっているということを知っているからです。

生涯現役、臨終定年   松原 泰道(禅の高僧)

勢いのあるフレーズですね! 本気でそう願っている人達にとっては、きっとそれは現実になるでしょう。歳(とし)だから…という幻想を振り払って、自分の価値に気づき直し “焦らず、私自身のペースで、ゆっくり成長していいんだよ…”と、絶えず私も自分に言ってあげるようにしています。他者のペースに巻き込まれないことはとても大切に思います。“他者(ひと)は他者(ひと)、自分は自分”です。人の数ほど生き方のスタイルはあるのですから…。

あきらめない! 一歩ずつ   三浦 雄一郎

*次回のコラムは6月20日前後の予定です。

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2019年4月20日土曜日

不安・恐怖の感情を受け入れ、圧倒するほどのものは手放していきましょう

Column 2019 No.71

  “生・老・病・死”がある限り、人間は、不安・恐怖の感情からは、簡単には逃れられない存在だと思います。先般、親業の合同フォローアップ講座(講座を受講済みの人達のフォローの会)で「感情」がテーマになっていました。そのときある受講生の方が、唐突に「先生にはこだわっている感情はありますか?」…その辺りの質問だったと思います。私は即座に「恐怖心ですね…。DNAレベルの…」と、答えた自分がありました。

 私は顕在的には、あまり“恐怖心”というものを持っている方ではない…と思っていたので、即座にそう答えた自分に、むしろ驚きました。しかしそこから私の中に、新たな気づきが始まりました。そこまでの恐怖の対象が、いま現象的にないだけであって、実は、私の中の深い部分に“恐怖心”が根強くあったのだということに…。そしてそれをあらためて、見つめてみる必要があるのだということを…。

 スイスの深層心理学者のカール・ユングの唱える人間の「無意識層」のからくりを、依然取り上げたコラムNo24から、もう一度引用してみます。

「…人間の心の中には誰の上にも、深層心理として“集合的無意識”と“個人的無意識”が存在している。 集合的無意識とは、人類発生以来脈々と受け継がれてきた人類共通の信念・価値観・恐れ・不安…などを、一人残らず潜在的にもっている。 我々人間は、個人的無意識の影響は勿論、それら集合無意識層の影響をも確実に受けながら今の人生を創っているのだ…」

 つまり、これが私の中からふっと出てきた“DNAレベルでの恐怖心”の意味でもあったのです。顕在意識では、あまり実感がないのに、何かの折にふっと自分の中にしぶとく横たわる不安・恐怖の存在を感知することがあるわけです。我々の深層心理はかくも複雑で、私たちの人生に、それはそれは大きく関わっているのです。

苦痛と恐怖を征服した人間は、神となるのです。
その時こそ新しい生が始まる。新しい人間が生まれる。
すべて新しくなるのです
ドストエフスキー

神になる…ということは心理学用語で言えば、人間の高次の欲求である「自己実現」と同じ意味合いだ…と、私は理解しています(コラムNo25)“自己実現をしていくこと”は人類一人ひとりの最終目的です。ドストエフスキーのこのフレーズから、私たちが最終目的(ドストエフスキーの言う神=自己実現)に達するために課せられた、“苦痛と恐怖を征服すること”は、人間の最後の至難な試練…とも受け取れます。それほどに不安・恐怖は私たちにとって、手放すには、なかなか手強い、最大の難題と言えるのかもしれません。

 自分にもいつ訪れるかもしれない重篤な「病」を想うとき、自分の中に「老い」を感じるとき、逃れることのできない「死」を想像するとき、誰でも少なからず不安・恐怖を覚えます。まだ想像の域であれば“私なら乗り越えます!…”という人はあるかもしれません。しかし実際にその状態が身に降りかかった時、平然とそれらを受け入れていける人は、そう多く存在するものではありません。…人間を生きるということは並大抵ではありませんね。

遠くにいると恐怖を感じるが、近くに迫ると、多くはそれほどでもない
ラ・フォンテイーヌ

私たちはとかく、まだ現実には起っていないことに、心配・不安を、ひとつまたひとつと、カウントしては、自分で不安や恐怖心をどんどん募らせ、増幅させている…ということはないでしょうか。予測できることに、対処しておくことはとても大切だと思いますが、未来のことに、過剰な心配や不安を募らせることは、「あなたの人生はあなたの考えた通りになる…」という原則から言えば、由々しき結果になるわけです(コラムNo70) 

 実は不安・恐怖の感情も、永年の無意識の訓練で習性になったのですから、新しい想いの定義も、練習次第で必ず身につく筈なのです。コラムNo4で取り上げましたが「泥水で一杯のコップでも、清水を注ぎ続ければ、やがて必ずきれいな清水にかわる…」と、同じように、私たちの心が、心配・不安・恐怖で一杯になっていても、そこに一滴一滴、新しい肯定的な想いや希望を注ぎ続ければ、やがて必ず私たちの心に、真の喜びと平安を取り戻せるはずなのです。

 心にとめておきたいことがあります。無意識ですが、私たちは、不安や恐怖の感情に、実は助けられながらこれまで生きてきた側面もあるということです。私たちに不安や恐怖の感情があるからこそ、車の運転には気を付けるし、熊が出没するという山には、入らないのです。不要な感情というものは何ひとつないのです。

 ただ、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は、あなたの欲求充足(あなたが望む人生を生きたい欲求)の前に、立ちはだかり、“おまえに出来るはずがない!”“必ず失敗するよ!”など…。沸き起こる不安・恐怖は、何の根拠もないのに、あなたが手にしたいと思う人生から、あなたを巧妙に引き離そうとします。

 あなたが本当に生きたい人生を、生きていくためには、あなたを圧倒するほどの不安・恐怖は、しっかり感じて、感謝して「もういいよね…」とあなたなりのツールを使って、意識的に果敢に解き放していきましょう。解放しただけは潜在意識が綺麗になり、顕在意識は楽になってくるはずです。

大切なのは、決して深刻になり過ぎないこと。
すべてのことは時が来れば必ずうまくいく
ヘンリー・ミラー

*次回のコラムは5月20日前後の予定です。

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2019年3月20日水曜日

あなたの人生の主役はあなたです

Column 2019 No.70

 これは親業が主宰する「人間関係講座」のキャッチフレーズのひとつです。“あなたの人生の主役はあなた”ですから、あなたは、自分が生きたい人生を生きる権利があるし、生きたい人生を、自分で創造していく権利もあります。勿論、自分が自由になる範囲での権利であり、他者と共有部分の範囲では、話し合ったり、合意点を捜すことが必要となってくるでしょう。

 現代はかなり価値観も変容してきてはいますが、「私はいつも夫や子どもが楽しく暮らせるように努めてきました。自分のことなどあまり考えたことがありません…」「自分のことに時間を使ったり自分がしたいことをするのは、利己的なのだと教え込まれました。ですから自分が楽しんでいると、とても後ろめたい気持ちになるのです」…このように 自分の人生を主役で生きることに抵抗を感じている女性は、まだまだ多いと感じています。

 表情に、どこか哀しみと不満をたたえた様子のある女性が言いました。「夫は、私がいなければ、自分が着るものがどこにあるかわからないんですよ」 しかし、こう話しているときの彼女の表情は、けっこう誇らしげなのです。“私がいないと、この人(夫)は生きていけないんだ…”と思うことで、自分の価値を保ち、無意識ですが、自分の無価値感のバランスをとっているのかもしれません。一方、ご主人の方も、奥様に依存していることに何も疑問を持っていない…。このような関係を「共依存関係」と言い、双方とも自立を阻まれている関係性です。

 自分の人生を自分が主役で生きる…ということは、他者に依存しないで一人でも生きていける力です。自分が自由になる範囲まで、むやみに他者に解決策を求めたり、他者の同意を求めることなく、自分でやりたいことを決定でき、行動できる力です。そして相手の感情は相手のもの、自分の感情は自分のもの…と、自他分離感を持てる力でもあります(コラムNo20) 例えば私たちはよく“~さんに傷つけられた”といった表現をしますが、自立した人は、相手はともあれ“私は傷ついた(傷つくことを選択した)” つまり自分の感情に、はっきり責任をもてる人でもあります。

 そして、自分の人生を主役で生きる人…は、自分は人生で何を得たいのか。どう生きていきたいのか…等々、自分の欲求を明確に持っています。そしてそれを充足したければ、果敢に行動し、生きたい人生を手に入れていきます。自分の幸せを周りに期待しないのです。

幸せや豊かさを外に求めるなら、
あなたは永遠にそれを手に入れることは出来ないでしょう
並木良和

問題を抱えている方に、私がよく伝えるフレーズがあります。「あなたが本当にやりたいことをする…あなたの心が喜ぶことをする…ことは、人生の答えですよ」…と。すると「子どもが今、~の状態で心配で心配でたまりません。これさえ解決すれば、私はやりたいことができるのですが」…と言われるのです。しかしそういう方の多くは、その問題が解決しても、決して自分の人生を生きようとしないで「実は夫が…」と、必ず次の“心配の材料”を見つけてくるのです。

 つまりその人の中で習い性になっている、“心配する感情”に気づき、整理されない限り、不思議ですが、ひとつが解決しても、その人にとって“心配な現実”を次々と創っていくのです。起き湧く事柄に問題があるのではなく、その人が持つ想いの習性が問題なのです。コラムNo23に取り上げた寓話がそのからくりを、とてもうまくあらわしているので、もう一度取り上げてみます。

 ある村から新しい村に引っ越してきたA夫人が、その村で一番尊敬されているという長老に尋ねました。

 A婦人「長老さま この村の人たちはどんな人たちですか」
 長 老「前に住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」
 A婦人「とても嫌な人ばかりなので、引っ越してきたのです」
 長 老「それなら多分ここも同じです」

 なかなか示唆に富んだ寓話です。周りの環境を変えても、その人が持っている感情や信念・定義が変わらない限り、同じ環境を創っていくだろう…というわけです。自分の人生を創造できる者は、自分意外に周りには決していないのです。私の人生の創造者はわたし! つまり“私の人生の主役はわたし”なのです。

 次は私の「人間関係講座」を数十年前に受講されたM・Hさんが、感想文に書かれていた一文です(原文通りの文体で紹介します)。M・Hさんは“自分の人生自分が主役”をスタンスに、自分軸をとても大切に生きておられます。

「わたしを大切にするわ」
「わたしのわたしらしいところを、いいよ!ってわたしにいうわ」
「わたしがわたしの人生を生きるのよ。主役はわたしよ!」
…と声をだして、わたしにメッセージする。

「自分の人生 自分が主役ですもの!」インストラクターからその言葉を受けた日から、わたしはその言葉を両手に包んでいる。

いとおしくて、折々にとりだしては、ほおずりする。
わたしのモヤモヤとした思いを明確な言葉でさしだされた。

「わたしは自由」といってみる
「主役はわたし」といってみる。
「わたしが選び、決めていくのよ」と、いってみる。

それを、ごはんを食べるように自然におこないたいと願っている

*次回のコラムは4月20日前後の予定です。

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2019年2月20日水曜日

病気は「治す」ものではなく「治る」ものだと考えています

病気は「治す」ものではなく「治る」ものだと考えています
ウルリッヒ
Column 2019 No.69

 先般、大きな仕事が終わった翌日、私の唯一の持病である「不整脈」が久々に起こりました。そんなに頻繁には起らないので、助かっていますが、いったん起ると長時間続き、普通の歩みであっても30メートルさえ、正常には歩けません。しかし、身体というのはとても不思議なもので、仕事がある日は、全くと言っていいくらい起らず、ほっと一息ついたときなどに多くは起るのです。

 テーマにあげた、医師であるウルリッヒのフレーズに、私はとても心惹かれました。実はこのフレーズには続きがあります。「…波動が調整されて、心身の生命力が高まれば、自然に治るのが病気です…」…と。 「不整脈」を病気とまで言わないまでも、私にとっては辛い症状です。ウルリッヒのフレーズは抽象的ですが、“きっとそうだろうな!”と、妙に感性で納得したのでした。ナイチンゲールも「病気は自然の修復過程…」と言っているのは有名です。

 不整脈に見舞われたその日、その症状と共にいながら、“これはどこから来たのだろう…”と、ふっと感じていました。多くの病気はストレスが原因…と言われるのが一応定説になっています。ではそのストレス…はどこから?…そのように気持ちを追いかけていたら、まざまざと私の生い立ちが脳裏に甦ってきたのです。

 いつかも母のことをコラムに取り上げましたが、あまり体が丈夫ではない母が、田舎の大家族に嫁ぎ、朝から晩まで休む暇もなく孤軍奮闘していました。朝は4時に起きて宵が過ぎるまで働いていました。料理上手で手抜きはしませんでしたし、私たちの衣服も多くは母の手作りのものでした。しかし彼女から出ている雰囲気は、いつも寂しげで哀しみそのものでした。私は幼い頃からその母をじっと見つめていたような気がします。その母は遂に病に倒れ、51歳で逝きましたが、今思い出しても、幸せそうな顔をあまり思い出すことができません。

 ストレスフルな母を見つめながら、私はわたしの幼い心に、日々ストレスを、たたみ続けていたのでしょう。あの場面もこの場面も、“母が可哀そう…”と、我がことのように、心を痛めていたなあ…と。母の哀しみが幼い私の哀しみとなっていたことが、突き上げるように思い出されてきたのです。そしてそれを黙って耐えてきた自分自身への愛おしさが、一気にこみあげてきて…しばらく子どものように泣きじゃくっていました。

 忘れたふりをして、許したふりをして、私はここまで多くの哀しみを抑圧してきたんだなあ…と。可哀想な母には言えなかったけれど、その頃、既に幼い心臓に異変を感じたこともあったな…ということも思い出したのです。長い月日をかけて、そのストレスに気づかないまま習性となってしまった観念・想念が潜在意識に固着してしまい、顕在意識では忘れていても、その固着した観念に微妙に足を引っ張られていたんだなあ…ということに、あらためて気づいたのでした。

 しかし、不整脈という症状を通して、いま私に来たこれらの気づきこそが、ウルリッヒの言う“波動が調整される…”チャンスであり、そのチャンス(気づき)を生かしていくことが、私のこれからの“心身の生命力を、高めていく”ことに繋がり、病が癒される方向に向かうのであろう…”と。 

自分の意識に無いものをあなたはコントロールすることは出来ないのです。
あなたが意識していないものに、あなたは躓(つまづ)いてしまうのです
タデウス・ゴラス

ゴラスが言うように、私は自分の今のストレス状態にも、またストレスが培われてきた原因にも充分に気づかず、躓いていたのでしょう。その日以来、私はちょっとしたストレス状態にも気付こうと思うようになりましたし、対処の仕方もかなり見えてきました。過去から今に繋がる想いの習性・生活習慣…にきちんと気づき、優しい目で見つめるようにもなりました。しかし真摯に対峙はするけれど、決して闘わない。辛かった感情を感じては、優しく掌に載せ「もういいよね…」とその都度、手放していく。そして、わたしの魂が喜ぶことをいっぱいやって、さらに気持ちを満たしていきたい…と。

同じ朝はめぐってきません。私は毎朝、
ドキドキしながらカーテンを開けています

このフレーズは、当時88歳の現役モデル、ダフネ・セルフが執筆した「人はいくつになっても美しい」からの引用です。“同じ朝はめぐってこない”…過去は過去! 今の正直な気持ちを感じ受け入れながら、そして解き放ちながら、私も新しい朝を、わくわくドキドキしながら迎えたいと思いました。

 一方、病を持ちながらも、病とうまく折り合いをつけながら、ユニークな視点で生きている人のメッセージにも魅せられます。

痛風・喘息、ほかに7つほどの病気にかかっているが、
それ以外はどこも故障はない
シドニー・スミス

 英国の文筆家である彼のこのユーモラスな感性に、心が広がっていくのを感じました。どんなに辛い状態の中でも、こんな視点を持てる人があるということに感動を覚えます

健康な人には病気になる心配があるが、
病人には回復するという楽しみがある
寺田寅彦

*次回のコラムは3月20日前後の予定です。

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2019年1月20日日曜日

障害は「個性」です

Column 2019 No.68

 障害は個性である…これは親業訓練協会“前理事長”であった近藤千恵が大切にしていた視点でもあります。“「個性」だからこそ親業的な対応で、その個性をつぶさないで大切に育ててください…”と。

 私の講座を受講下さったM・Nさんの一文です。

「…私の長男はアスペルガー症候群です。相手の気持ちが解りにくく、自分の気持ちも言葉にすることが苦手な長男を、どうサポートしていくのがいいのか悩んでいました。親業講座を受講し、能動的な聞き方(積極的傾聴法・共感)を取り入れていくと、本人が少しずつ自分の気持ちを言語化できるようになり、今では自ら表現できるようになりました。…(中略) 今までは“コミュニケーションがうまく取れないのはアスペルガーの特徴で仕方ない”と、半ば諦めていました。しかし、諦めなくていいんだ!この聴き方を続けていくことで、長男は自己理解も他者理解も出来るようになるんだ!…と、一筋の光が見えてきました。…」

 “発達障害”というネーミングは、平成17年に発達障害者支援法が施行されてから特にクローズアップされてきました。自閉症そして一部自閉症の枠組みに触れるとされる、広汎性発達障害、AD/HD、LD、アスペルガー症候群…等々のように細かく分けられ、元気のよすぎる子、集中力に欠ける子、落ち着きがない子、変わった言動がある子、困った行動をする子…などが、その範疇に入れられるようになりました。(“自閉症”の症名はすでに古くからありました)

 実はこれらの診断は、医師も難しい分野と言われており、その結果、育てにくいと言われる多くの子どもが、大まかに「発達障害」の枠に組み込まれてしまっていることに、私はいささか疑問を感じています。しかし幾らかの親御さんは「私の育て方に問題があってこんな難しい子になった‥と罪悪感で苦しかったのですが、“脳機能の発達が関係する障害”…と聞いてむしろほっとしました」と言われる方も確かにあります。

 私は長い間、カウンセリングの仕事もしていますので、「発達障害」の範疇にあるという子ども達にも逢ってきました。その子たちに逢って感じることは、その多くの子ども達が、とても美しく、深く澄んだまなざしを持っているということです。…なんて純粋なんだろう…と、心打たれるほどです。私には“障害”に感じられないのです。

 私はお母さま方によく伝えます。「このお子さんは、とっても高い精神性をもって生まれてきています。お母さんがこの子から学ぶことも沢山あると思いますよ。特別大切に、なるべく傷付けないように育ててくださいね」…と。あるお母さんは「ほんとにそうなんです。手はかかりますけど、子どもから、驚くようなことを言われて気付かされたり、教えられることが沢山あるんです。この子に出逢わなかったら今の私は無かったと思います」と話していました。

 今回は、会話ができない重度の“自閉症”という症状を持っていながら、パソコンや文字盤ポインテイングによって会話が可能になり、本の出版に至った東田直樹君を紹介したいと思います。沢山の本が出版されていますが、彼が中高生の頃に書いた「僕が飛びはねる理由」シリーズの中から“発達障害”と呼ばれる子ども達が、本当は、何を考え行動しているのか、その真実が書かれているので、その一部を紹介したいと思います。

「僕は今も人と会話ができません。自閉症という障がいを抱えて生きています。…この社会は沢山の人々で構成されています。その中で自閉症者も生きているのです。そのことを少しだけ気にかけて下されば、自閉症者にとって今よりずっと生きやすい世の中になるのではないでしょうか」

「僕の口から出る言葉は、奇声や雄叫び、意味のない独り言です。僕が普段している“こだわり行動や飛びはねる姿”からは、僕がこんな文章を書くことは誰にも想像できないでしょう…」 

「特に困っているのは、本当の自分を解かってもらえないことです」

「僕が飛び跳ねることの理由には、手足の位置がわかることによって、自分の存在が実感できること、空に向かって気持ちが開くことなどもあります。空に向かって気持ちが開きたくなるのは、人では、僕の気持ちを受け止めきれないと思っているからです」

 自閉症をはじめ、発達障害と呼ばれる子ども達の多くは、確かに表向きには、奇異な行動や、理解できにくい“こだわり言動”が多く現れますが、しかし実は、こんなにも彼らには、自分の世界や周りの世界が、鮮明に見えているのです。真実を見通すまなざしをもっているのです。言葉にはできないけれど、精神性の高さ、深さを持っているのです。

 それだけに、発達障害の子ども達をどうするか…という外側からのアプローチだけではなく、彼らの内面にある真実や、葛藤、哀しみを解かってあげようとする、冒頭に紹介したM・Nさんの例のように、内面へのアプローチがとても大切に思います。障害と見えていても、彼らはまさに正常なのですから。

 その方法として親業が大切にしている能動的な聞き方(積極的傾聴法・共感)<コラムNo12No42>は、とても役に立つと思います。 語りたくても語れない内面の本当の気持ち…を汲みとって、言葉にしてあげたり、共感したりしていくことで、やがてその子のハートや魂に触れていくことができるでしょう。それは,彼らの、途方もない孤独感と共にいてあげられる方法でもあり、それを解放してあげる方法でもあります。東田直樹君はその辺りの願いを率直に表現しています。彼の真実を紹介して今回のコラムを閉じたいと思います。

「つらい気持ちはどうしようもありませんが、ひとりではない…と思える瞬間がぼくを支えてくれます」        

「ぼくがパニックになった時、“一人になってクールダウンしたほうがいい”という人もいます。…人それぞれかもしれませんが、ぼくはそんなとき、ひとりになりたくありません。パニックになった時も傍にいてくれて、手を握って僕の気持ちに共感してくれるとうれしいです」

「答えられない時には、僕が答えられるまで待ってください。答えられない時には…こういう気もちなのかなと、僕の思いを代弁してくれると嬉しいです。たとえその答えが違っていても、僕の気持ちを一生懸命に考えてくれることは、僕を大切に思ってくれていることだとわかるからです」

*次回のコラムは2月20日前後の予定です。

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