2021年2月20日土曜日

天は自ら助くるものを助く

  ★2021年の講座予定を公開しました★    2021年 講座開講スケジュール


天は自ら助くるものを助く
サミュエル・スマイルズ
Column 2021 No.93

 冒頭のフレーズはラテン語の古い諺で、1858年にスマイルズが「自助論」を出版し、その冒頭に引用したことで世に知られました。私自身にも、とても心に鳴り響いているフレーズです。

天は自ら行動しないものに救いの手を差し伸べない
シェイクスピア

 人間関係の中でも、その人に降りかかっている問題を自分の問題として捉え、何とか解決したい…という欲求を持っている人は援助しやすいのですが、自分で解決できないと決めて、他者に依存している人を助けることは困難です。ましてや、天(自然・見えない大いなる存在・神…等々)は自助の意志がない人を助けることはしないでしょう。その人の為にもならないからです。

 ところが、この「天」の解釈はとても難しいと思います。私の家族は私が幼い頃から朝晩お仏壇にお参りする習慣のある家でした。そして家族の誰かが「お天と様はいつも見とられるぞ!」とよく口にしていましたので、目に見えない存在のことは、よく分からないままですが、当たり前のように理解し自然に受け入れていたように思います。

 歴史に名を遺す賢者たちも、目に見えない存在を「天」という表現で現し、畏敬の念を抱いていたことが伺えます。

ひとを相手とせず、天を相手とせよ。天を相手とし己を尽くし
人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし
西郷 隆盛

また日本人にもなじみ深い故事があります。この故事に付随して、松下幸之助氏は次のように述べています。

人事を尽くして天命を待つ
出典:中国

“人事を尽くして天命を待つ”という言葉がある。まことに味わい
深い言葉である。私心に捉われることなく、人としてなしうる限り
の力を尽くして、その上で静かに起こってくる事態を待つ…

 さて「天」の解釈はひとまず置いて、「天は自ら助くるものを助く」の中の“自ら助くるものを助く”…辺りに焦点を置いてみたいと思います。西郷隆盛は“…自分ができる限りの力を尽くし、自分の非を他人のせいにしないで、自分がいま、誠心誠意尽しているか否かを天に尋ねよう…”と言っています。

 松下氏は“…自分の利益だけを考えるのではなく、自他を想って自分が出来うる限りのことをして、あとは心静かに起る事態を迎えよう…”と。いずれも他者に依存せず、自分自身の責任において、出来うる限り力を尽くしたのちに、あとは天の意思にお任せしよう…述べているのです。

自らを助けないものを救おうとしても無駄だ。ハシゴを自分で
登る意志が無いものを他人が押し上げることはできない
アンドリュー・カーネギー

 「シンデレラコンプレックス」という用語がメジャーになった時期があります。女性の潜在意識にあると言われる“依存的願望”を指摘したシンドローム(症候群)の名称で、米国の女性作家コレット・ダウリングが提唱した概念です。ある日、白馬に乗った王子様が突如、あなたの目の前に現れて、惨めな境遇にあるあなたを見初め(みそめ)て、白馬に乗せて宮殿に…。つまり他者によって救われたい、守られたい…という、女性に多く見られる依存的な心理的願望を示しています。

 しかし今回の冒頭のテーマが示すように、自分自身を幸せにする力は自分にしかありません。自分の幸せを第三者に依存している人には、天は助けの手を伸ばさないであろうし、万一、玉の輿に乗って宮殿に入っても、いったんは幸せを手に入れたかのように見えても、自分自身で自分を幸せにする力量が無いので、豪華な宮殿の中で一日中「さみしい、さみしい…」と王子様に愚痴をこぼすに違いないのです。 私たちを本当に幸せにするのは王子様ではなく、私たち自身なのです。

自分の人生を主役で生きる人は、自分はこの人生で何が得たいのか。どう生きていきたいのか。自分の欲求を明確に持っています。それを満たしていく為に決して周りに期待せず、自分で果敢に行動を起こし、手に入れていこうとします。“棚からぼたもち”という諺もありますが、自分の欲求に沿って、そのぼたもちを有効に取り入れ、自身の人生を更に広げていける人であれば、そのぼたもちも意味をもってくるでしょうが、一瞬の幸運“棚ぼた”を期待して生きている人は本当の幸せを実感しないままに人生を終えてしまうことになるかもしれません。

 「依存」のループから抜け出すことが大切です。そのためには、まず自分の依存性に気づくことからが出発です。自分自身の中の「依存」という思いの習性に気づくのです。周りに起き湧くできごとは、周りが原因ではなくあなたの思いの習性があなたの人生を創っていることに、本気で気付くことです。そのからくりをとてもうまく現している寓話があります。取り上げるのは数度目ですが、再び取り上げてみます。

 ある村から新しい村に引っ越してきたA夫人が、その村で一番尊敬されているという長老に尋ねました。

 A婦人「長老さま この村の人たちはどんな人たちですか」
 長 老「前に住んでいた村の人たちは、どんな人たちでしたか」
 A婦人「とても嫌な人ばかりなので、引っ越してきたのです」
 長 老「それなら多分ここも同じです」

 なかなか示唆に富んだ寓話です。周りの環境を変えても、その人が持っている感情や、信念・定義(思いの習性)が変わらない限り、同じ環境を創っていくだろう…というわけです。自分の人生を創造できる者は、周りには決していないのです。私の人生の創造者はわたし! つまり“私の人生の主役はわたし”なのです。


*次回のコラムは2021年3月20日前後の予定です。

★2021年の講座予定を公開しました★    2021年 講座開講スケジュール

2021年1月20日水曜日

自分のものさし 相手のものさし それぞれ寸法がちがうんだな

 ★2021年の講座予定を公開しました★    2021年 講座開講スケジュール


自分のものさし 相手のものさし
それぞれ寸法がちがうんだな
相田みつを
Column 2021 No.92

 相田みつを氏がいう「ものさし」とは、“価値観の捉え方”のことを指しており、ものさしと言えども、一人ひとりの目盛りが違う(感性が違う)ので、価値観の感じ方、捉え方には幅がある…ということを、ユーモラスに表現しているわけですね。「価値観」とは、一人ひとりの、ものの感じ方・信条・趣味・人生観…等々を言い、何を選び、どう感じるかについては、第三者に影響を与えない限り自由に選択できる権利を有するものです。

 親業では、誰かと“価値観の対立”が生じた場合、それに権力(暴力・脅迫・命令・侮辱・非難・講義・説教…等々)を使うと、親子であっても関係性は大きく損なわれていく危険性をはらんでいると唱えており、力を使わない係わり方を提供しています。ずっと以前、TVのコマーシャルにお父さん(武田鉄矢)が登場して「どんなに嫌われても、自分が正しいと思うことは子どもに押し付けます。うるさいおやじほどあったかい…」というフレーズがあって、当時とてもヒットしたのですが、しかしこれは絶対にうまくいきません。

 親に迷惑をかけていることであれば、子どもは厳粛な気持ちでそれを受け止めて、行動を変えようとしますが、「あの友達とは別れなさい!」「その格好は何だ!」「好きなことばかりして生きていけると思ったら大間違いだ!」「勉強ができないで厳しい世の中を生きていけると思ってるのか!」…等々。親に具体的な影響(迷惑)を与えていないと子どもが感じていること、つまり“価値観”に関して権力を使われると、相手が親と言えども、子どもは猛然と戦います。

 しかし親ですから、我が子が心配な友達と付き合っていればやはり心配ですし、勉強をやらない子供を見ると将来大丈夫かなあ…と心配するのは当たりまえですよね。ただ、それを権力で接することが危険なのです。以前出逢った青年が言いました。「こっちの言い分は一切聞かないで、いっぱしの正論を押し付けて、教育したつもりでいる。いつもやりきれなさが残る…。いつかやっつけてやりたい気持ちがあるが、正直言ってもういい!係わりたくないという気もちが強い…」と。

 親業を学ばれたあるお父さんと、お子さんとのやりとりです。次のような会話であればどうでしょう。(おやぎょう機関誌掲載)

 父「宿題はしたのか」
 子「してない」
 父「宿題をしていかないと、お前が先生に叱られはしないかと心配だよ」
 子「心配しなくてもいいよ」
 父「そうか、心配いらないのか」
 子「うん、あとでやるから」
 父「やるつもりなんだな」
 子「ああ、そうだよ。叱られたくないもん」
 父「安心したよ」

 父親は権力を使わないで、ただ正直に心配な気持ちだけを伝えています。そして子どもからの言い分に対しても、決して押さえこんだり、無視することなく共感で返しています。親業で大切にしている価値観の伝え方のひとつです。

知識は多いほどいい。知らないより知っていた方がずっといい。
けれども、固定観念と先入観は“百害あって一利なし”
野村 克也

 私たちは幼い頃から、親や周りから刷り込まれた価値観によって、無意識にそれに応えようと、自分に厳しく真面目に、切磋琢磨して生きてきました。しかし一生懸命に生きて来たはずなのに、人生がどんどんつまらなくなってきた…ということはなかったでしょうか。「真面目に努力しないと幸せになれないよ」「人生はお前が考えているような甘いもんじゃないぞ」…といった親や世間から刷り込まれた価値観に完璧に嵌ってしまって、本当は自分がどう生きたいのか、何をしたかったのか…が分からなくなってしまい、人生の迷い子になってしまった状態です。

定説に捉われてはいけない。それは他の人の考え方を生きていくことだ
ステイーブ・ジョブズ

 親業では“欲求充足こそ人生の目的です”と提言していますが、これまでとは異なる価値観に接したとき、頭では納得できるけれども、刷り込まれた価値観との軋轢が起って、なかなか行動に移せず、楽しむことができない…という気もちをよく聞きます。私自身も体験しているのでその気持ちは痛いほど解ります。

 本当は私たちの人生は可能性に満ち満ちているのです。どう生きていきたいかを選択する“自由と権利”があるのです。何だか生きづらい、生きることが何だかつまらないと感じる…とき、私たちは知らず知らずに、古い価値観や観念に縛られて生きているのです。このことにはっきり気付くことが大切です。

 自分が頑なに信じてきた価値観や観念をもう一度しっかり眺めて、自分にとって本当に心地いいものかどうかを調べてみましょう。気づくことは、洗い直しをすることでもあり、乗り越えることであり、自分軸をしっかり取り戻すことでもあります(コラムNo85

人によって、価値観や好みは異なるわけですから、幸せの形も違ってあたりまえ。マスコミや世間が押し付けてくる幸せの基準を、ちょっと脇にどけて、一度じっくり考えてみて下さい。自分はほんとうは何が好きなのか。何をしているとき幸せだと感じるのか。気持ちよく生きていくために何が必要で、無くても困らないものは何なのか。どんな自分になりたいのか…とね
斎藤 茂太

*次回のコラムは2021年2月20日前後の予定です。

★2021年の講座予定を公開しました★    2021年 講座開講スケジュール

2020年12月20日日曜日

揺るがない安全基地を自分自身のなかに ~自分自身をさらに受容しましょう~

★2021年の講座予定を公開しました★    2021年 講座開講スケジュール

Column 2020 No.91

 「自分自身を受容する」ひとことで言えば簡単ですが、世界にたった一人しかいない存在の自分であるのに、自身を愛すること・許すことは、多くの人にとって意外に難しいことなのです。例えば“子どもをどうしても愛することができないのです”…という母親の背景には、その人の“自己受容能力”の低さが関係していることがあります。

 近年の研究結果でも“自己受容と他者受容”との間には密接な関係がある…ということが示されており、自分を愛する力量でしか相手を愛することはできないということを表してしています。つまり“あなたが自分を好きだと思ったら、あなたの子どもを受容できて好きになるのも簡単です”というわけです。

 近年ではこの理論の意味・重要性を理解し、認識している人々やお母さん方は多くなりました。しかし、自分自身を受容するためにはそれではどうしたらいいのだろう…辺りで解決策を探り、苦悩している方々は意外に多いように思います。

 多くの識者・賢者もそれに答えようとしています。

出来ない自分を責めている限り永遠に幸せにはならないのです。
今の自分を認める勇気をもつものだけが本当に強い人間になれるのです
アルフレッド・アドラー

 誰の中にも “好ましくない自分”という意識があり、無意識を含めてそれを責めてしまったりしています。他者に褒められたり認められても、自分自身が自分を認めなかったら、本物の自己受容には至りません。褒められたときには嬉しくて“私って素敵よね”と瞬間には思えても、すぐに元通りの自信のない自分に戻ってしまいます。

 そこでアドラーは “今の自分にいくら不満や至らない点があっても、それを決して責めないで、誰に褒められなくても認められなくても、ありのままの自分で生きていいんだ…という勇気をもってください。それが本当の強さへの出発ですよ”…と彼は伝えているのです

自分の弱さを許容せよ。
弱さを他者にさらけ出すことを恐れるな。
他者の弱さにも寛容であれ
茂木 健一郎

 まさにその通りで“自分の弱さをさらけ出せる”ことは、そもそも強さの表徴でもあり、また真に楽に生きれる真髄だとも思います。ただ、自己受容度を今から上げていきたい…という人にとっては、それはなかなか難しいことでしょう。自分の弱さを認識し許容することだけでも精いっぱいですから、ましてや他者にさらけ出すことには強い抵抗を感じるかもしれません。先ずはさらけ出せない自分をどうぞ許してあげてください。

揺るがない安全基地を自分自身のなかに

 メーテルリンクの「青い鳥」の童話に登場するチルチルとミチルは、“幸福の青い鳥”を捜して森の中に入りますが、ついに見つけることはできませんでした。がっかりして家路に尽きましたが、何と我が家で飼っていたキジバトが美しい青色の羽毛を持っていたことに気づいたのです。“幸せは遠くにあるのではなく、身近にたくさん潜んでいる”…ということを示唆している童話ですね(コラムNo23

 しかし私たちに、その幸せを感じ取れる意識(ハート)が無かったら、どんなに幸せが身近にあっても気づかないでしょう。幸福の青い鳥は私たちの周りにいるのではなく、実は一人ひとりの“心の中”にしかいないのです。揺るがない安全基地は自分の心の中にしかないのです。

たとえあなたが何をしていようとも、
それをしている自分を丸ごと愛してあげましょう
タデウス・ゴラス

 自分を無条件に愛する…これは人生の最終課題だと思います。しかもこの「自己受容能力」を身に付けるのに、まさに王道はありません。一人ひとりが自分の心の声や直感に従って、自分の気持ちにしっくりくるものを取りながら、揺るがない安全基地があなたのハートにできるまで、本気で自分を愛してあげてください。
そこに至る為のアイディアを幾つかご紹介します。

 アファメーションと言われますが、「私を愛します」「私を許します」「私はできる!」「大丈夫。大丈夫。何とかなる!」…のように、自分にあげたいメッセージを常に口に出したり心の中で繰りかえしていると、潜在意識に刷り込まれていって、不思議ですが少しずつその気になってくるものです。

 書籍「嫌われる覚悟」の著者 川島達史氏は夜寝る前に「自己肯定タイム」を作ることを勧めています。布団に横たわりながら
  今日成長できた点
  頑張れた点
  嬉しかったこと
  楽しかったできごと

 毎日これらを一つひとつ確認して眠りにつく。“自己受容度が進みますよ”…と言っています。

 最後に私のお勧めのひとつです
 毎日ひとつでもいいから あなたの心が喜ぶことをやるコラムNo21

 これは「自己受容能力」を育てるのにとても力があります。気づいたら、自分が大好きになっていて、やがて周りの人々をとても愛しく感じている自分に、出逢えるでしょう。

*次回のコラムは2021年1月20日前後の予定です。

★2021年の講座予定を公開しました★    2021年 講座開講スケジュール

2020年11月20日金曜日

本当の“自分らしさ”は自分を生きることから

 Column 2020 No.90


 皆さんは「自分らしさ」をどう定義しますか。これまで講演依頼などで「自分らしく生きるには」辺りのテーマを頂いて、そのつど“さてさて、自分らしさって何だろう…”と、立ち止まって考え込んだものです。

 私たちも周りの人から「こんな考えをするところってあなたらしいわね!」と言われたり、我が子に「あなたらしくない行動ね!」「中学生らしくちゃんとしなさい!」「少しは女らしくしなさい」」…などと、“らしく”の定義が明確ではないままに使ってきたのではないでしょうか。

 「…らしい」という表現の背景には、表現する人の中に“こんな人!”といった思い込みがあったり、無意識の願望があったり…するのかもしれません。しかし不明確な表現だけに、それを受けとった人は“…らしい”にこだわりが起こったり、わけの解からないままに、それに基づいた自分像という堅苦しい枠組みを作る原因にもなる危険性を感じます。自分の思い描いた枠で第三者を判断したり、人を“らしさ”で括(くく)ってしまう権利は誰にもありません。

他人が笑おうが笑うまいが 自分の歌をうたえばいいんだ
岡本太郎

 ほんとうにその通りだと思います。閉じ込められた不自由な「…らしさ」ではなくもっと自由に真の自分になる為の「…らしさ」を求めていきたいものです。その為には、自分の本質に気づき、つまり自分はこの人生でどう生きてどうなりたいと思っているのか。何をしたら本当に魂が喜ぶのか。何がやりたくて何がやりたくないのか…。正直に自分を感じ本音と対峙してみることからが出発です

 菊が決して薔薇にはなれません。薔薇が決して百合にはなれません。花々は、まさに誰に媚びることなく、堂々と個性を輝かせて自分を生きています。ひたすら自分の花を咲かせています。

あなたは際立つ(きわだつ)ように生まれてきたのに
なぜ周りに合わせようとするのですか。
君よりも君らしい人なんてこの世には存在しないんだ
ドクター・スース

 「…らしさ」を決して他人に手渡さないで、本当の自分らしさを自分で培っていくために私たちは何ができるでしょう。親業の視点から考えてみたいと思います。

☆ 自分を感じ、自分の感度を信頼して

 感情にいい悪いはありません。自分のありのままの感情を感じていないと、自分の人生で何が得たいのか、どう生きたいのか…は決して掴めないでしょう。その為に大切なことは自分軸を構築することです。他者の価値観や考えに、いつまでも依存したり影響を受けない。今は自信が無くても、自分の感度を信じて自分から来た答えを思い切って生き始めるのです。そう覚悟しない限り自分軸は育たないでしょう。つまり真の自立はできないし、あなたらしさは育たないのです。

周りからけなされ「無理だ!」と言われていた。
でも私は他人に自分の限界を決めさせたくなかった
田臥 勇太

☆ “ねばならない症候群”からの脱却

妻は夫を立てるべきだ
男は一家の主(あるじ)として責任をもたなければならない
女は慎ましく夫・子どもの幸せを最優先にするべきだ
家庭を持っているのだから、自分を大切にするのはあとまわしだ

 ……等々、大分薄れてはきましたが、特に女性は人間味あふれる一人の人間として生きることを阻まれてきた長い歴史がありました。「女、三界に家なし(女はどこにも安住の場所がない)」「嫁しては夫に従い、老いては子どもに従え」…というような俗諺(ぞくげん)があるくらいです。男性も女性も、深いところではまだまだ強固な観念があって、“男の役割”“女の役割”に縛られて生きてはいないでしょうか。役割意識に縛られると、男性も女性も、お互いが自分らしく“自分の人生の主役”になって生きることは難しくなるでしょう。

世界には君以外誰も歩むことのできない唯一の道がある。
ニーチェ

☆ すべきことよりやりたいことを

 「すべきことをやらないと生活は成り立たないではないですか。それは単なる我儘ですよ」…と一蹴されることは多いです。実はその通りです。いきなりやりたいことだけをやって生きていくことは出来ないでしょう。でも「今日はこのことをやりたい!」と思ったら、思い切って仕事を休んで、自分が本当に心が喜び、魂が納得することを本気でやってみるのです。生きている実感が掴めます。

 仕事がない日には、すべきことより“やりたいこと”を、優先順位の最優先にしてみる。すると、あなたの心や体がエネルギーに満ちてくるのが実感できるでしょう。すると不思議ですが“すべきこと”も何だかすんなりと進み始めるものです。自分を不自由にする為の「らしさ」ではなく、もっと自由な自分になることを許し、人間味溢れる、真の自分「らしさ」を求めていきたいものです。

人が奪うことのできないたった一つのこと。それが「自由」。
如何なる状況でも“自分が進む道を選ぶ自由”です
ヴィクトール・フランクル

*次回のコラムは12月20日前後の予定です。

2020年10月20日火曜日

がんばらない がんばらない

 2020年の講座予定を公開中です☆    2020年 講座開講スケジュール


がんばらない がんばらない
ひろさちや
Column 2020 No.89

 吉田兼好の「徒然草」の第39段に、法然上人のエピソードが書かれています。ある人が法然上人に「念佛の時、睡りにをかされて行を怠り侍ること。いかがして此の障りをやめ侍らん」その意味は“念仏しているときどうしても眠くなって困ります。どうしたらよいですか”とたずねた。法然上人は「目のさめたらんほど念佛し給え」“それなら目が醒めたときに、念仏をされるとよい”という一節があります。何だか心がほっこりとするような法然上人の言葉です。

 その時代の宗教界の掟はかなり厳しいものがあったと思われる中で、この法然上人の赦しのエピソードは心に沁みてきます。私たちは頑張ろうとしても頑張れない時があるし、やらねばならないことがあっても前に進めないこともあります。そんな時“出来るときにやればいいんだよ…”という法然上人の“そのままでよい”という深い容赦の精神は、私たちの心を温かく包み込んでくれます。

 日本人の価値観には「頑張ること、耐えること」への価値・美意識が、長い歴史の中で、大変重要視されてきました。その精神によって培われた、日本人の我慢強さや真摯で謙虚なふるまいは、美談として諸国にも認められるほどです。またその精神は日本産業の発展にも大きく寄与してきました。しかし反面、外交の場にあっては、その精神が優先するためか、言うべきことを率直に表現しない為に、誤解を生んだり、苦汁を飲む結果になってしまうことも起っています。

 日本人の真摯で謙虚なそれらの素晴らしい気質は決して失いたくはありません。それをしっかり底辺に持ちながら、私たち一人ひとりを含めて、今少し緊張を解き、息を抜いてリラックス精神を取り戻して、正当な持論であれば堂々と主張していけたら、やがて日本という国は、とてもいいバランスを取り戻していけそうな気がします。

 子どもは「がんばってね!」という言葉を嫌います。しかし、朝出掛ける子ども達に「がんばってね!」と多くのお母さんが、つい無意識に発してしまっています。だからでしょうか。子ども達が友だちと別れるときにもひとつの挨拶のように「がんばってね!」と言い合っていますよね。

もう頑張らなくていいんだよ。もう十分頑張りました。
ゆっくり休もう。そしてゆっくり待とう。
水谷 修

 ただ、ほんとうに惹かれること、好きなことをやっている人を周りから見ると、猛烈に頑張っているように見えることがあります。しかし本人はちっとも頑張っているのではない。心がわくわくして時間が経つのも忘れて惹かれることに没頭している姿なのです。そんな体験は私たちにもこれまでになかったでしょうか。自分が本当にやりたいことを、自分の心が喜ぶようなやり方でやっているときです…。

何か“これ!”と思ったら、他人の目ばかりでなく自分の目も
気にしないで、委縮せず、ありのままに生きていけばいい。
つまり、駄目なら駄目人間でいい…と思って、
駄目なりに自由に何の制約も受けないで生きていく。
岡本 太郎

 岡本太郎の「他人の目ばかりでなく自分の目も気にしないで…」のフレーズに、なるほど!と、共感がありました。実は私たちは、他人の目よりも厳しい自分の目が、前に進むことを拒んでしまっていることに気付きます。それが私たちの前進を阻む重い‟“鎖”になってしまっている。そのことに気付くことがとても大切に思います。

 「もしあなたの人生に全く制約が無いとしたらあなたは何がやりたいですか」と、親業主宰の人間関係講座の中でも問いかけがあります。その時に浮かんでくるあなたの内側の答えが、実はあなたの真実なのです。岡本太郎が言っているように、自分が仕掛けた自分への制約つまり“鎖”が、私たちの真の欲求を見えないようにしてしまったのです。

壁は 自分自身だ!
岡本 太郎

 日本語には聴いているだけで息が抜けるような素敵な言葉が沢山あります。「羽を伸ばす」「一息入れる」「一服する」「裃(かみしも)を脱ぐ」…等々。裃(かみしも)とは江戸時代の武士の礼服で、武士ですから、裃を着ている間は全く息は抜けません。もしかしたら日本人の魂の中には、まだ裃を着た“武士道精神”が、今も息づいているのでしょうか。

 「武士は食わねど高楊枝」という俗諺(ぞくげん)があります。その意味は“武士というものは貧しくて食べるものがない時にでも、いま食べたばかりのように装って、悠々とつま楊枝(つまようじ)を使う…” 武士はそうやってまで誇り高く生きたのでしょう。でも、つらそうですね…。もうそろそろ、裃(かみしも)を脱いで、「自分道精神」で、自分の本当の気持ちを大切にして生きていきたいものですね。自分で自分を遮っていた“壁”に気づき、本気で息を抜いて、しかし自分の真実から目を逸らさない。他者のためではなく、まず自分の為に生きていきたいものです。

迷ったら、自分にとって楽な方に道を変えればいいんじゃないかしら。
どうぞ、物事を面白く受け取って、愉快に生きて! 
あんまり頑張らないで。そしてへこたれないで!
樹木 希林

*次回のコラムは11月20日前後の予定です。

2020年の講座予定を公開中です☆    2020年 講座開講スケジュール

2020年9月20日日曜日

子どもの心が赤信号から青信号になるまで待ちましょう。そして歩道を渡るのか他の道を選ぶのかを少し待ってみましょう

2020年の講座予定を公開中です☆    2020年 講座開講スケジュール

Column 2020 No.88

 親業では「待つ」という親の呼吸を大変大切にしています。赤ちゃんは例外ですが、子どもは自分で自分を守る力があり、自分の人生を選び取る力があります。しかし子どもの中のその力は、親の関わり方次第で奪われたり、弱体化していくことが多いのです。過ぎた「過保護・過干渉」または過ぎた「放任」などは子どもの本来のパワーを奪ってしまいます。

 親業のスキルのベースにはすべて“子ども先行”という大原則があります。つまり子どもが何かしようとしている、何か言おうとしている…その前に親は行動をしないで待ってみる呼吸です。子どもが言わんとしていることを、親はゆったりと待ち、話している子どもの心が赤信号であれば、決して茶々を入れずに「共感力」をもって、出来れば青信号になるまで、ただ聴いていきます。親の考えは与えないで、子どもから来た解決策を大切に見守ります。

 一方、親も人間です。子どもの行動が受容出来ないことがあります。お手伝いの約束を守らない時、宿題をやりたがらない子どもを前にしたとき、或は他人様に迷惑行為をしているとき…など、多くはほっておけない心境になるものです。子どもを、どこで叱り、どこで見守り、どこで聴いていくのか…を決めるその尺度は子どもの行動を見ている人(親なら親)が決めます。一般論がものさしではなく、専門家が言っていることがものさしでもありません。

子どもがいたずらをすることは大切です。しかし大事なものを壊した時、
「これ大事にしていたの。壊れちゃってがっかりだよ」…と、子どもが
やった行為によって自分がどんな気持ちになったかを伝えるのが親業です。
平井 信義 (元親業訓練協会顧問)

 子どもを叱るときでさえ、子どもの前に立ちません。子どもの言い分、子どもの気持ちを受けとりながら、親の自分が何を伝えたいのか、自分の気持ちが明確になるまで待ちます。自分の気持ちを見つめていれば、自分の中に必ず答えがあるので待っていれば浮かび上がってきます。「あなたが~したら、~のような影響があるのよね。だからお母さんはとても心配なんよ(困るんよ)」のように、子どもに理解できるように伝えることができるのです。もちろんこれには練習が要りますので、親業の講座名は「訓練講座」であり、訓練を大切にしています。

 子どもが、自分軸をもって堂々と社会を生きていく為には、色々な力が必要です。自立心・自律力・判断力・選択力・意欲・自己教育力…等々です。これらの力を子どもの中に育てるには、親の「待つ」という姿勢が大変重要になります。そして子どもにその力を育てていく為には、まずその親自身が自分軸を育て、自分から来る答えを信頼して待つ訓練が必要になってきます。

 さて、子どもの思春期には、親との関係で鬱積してきた感情が疾風怒濤のように吹き出てきます。まさに敗者復活戦とも言えるように深刻に親を悩ませます。しかし子どもにとってこの作業は大変大切なプロセスで、強烈に出れば出るほど情緒的にしっかり落ち着いてきます。‟反抗期は無いよりあった方がいい“と言われる所以です。もちろん内向きな反抗(鬱・心身症・不登校…等々)もあります。こちらは時間はかかりますが、子どもの鬱積した感情を上手に開放してやれば、徐々に子どもは自分軸を構築していきます。

 ある母親Mさんが「待ってみる」ということを実践された、心に残っているエピソードをご紹介して今回のコラムを閉じたいと思います。

 Mさんは子どもが大切であるが故に、無意識に子どもを過剰に干渉して育ててしまいました。案の定、思春期を迎えた長女S子さんとの関係はどんどん悪くなって、S子さんは遂に家出をしてしまいました。お母さんは色々と心を砕いて、居場所はわかったものの、どんなに説得しても帰らないという…。

 そこでMさんは、親業で最後辺りに学習した“子どもの行動のすべてを変えるということはできません。結果は期待しないで祈って待ちましょう”…というスキルを思い出されました。“そうだ、待ってみよう…子どもの幸せを祈りながら…”と、静かな気持ちに辿り着かれたのです。

 ある日、S子さんがひょっと帰ってきました。離れている間にS子さんは、身の回りのものは自分で管理し、洗濯も自分でして取り込んでたたむ…驚くような変容が見えたそうです。しかし、母親とS子さんとの行き違いが再び起ってしまい、「母さんはちっとも変っとらん!やっぱり出ていく!」といって、どんなに押しとどめようとしても決意は固く、衣類を纏め始めました。

 母親のMさんは気持ちが張り裂けんばかりに悲しかったけれど、やはりこの子の選んだ道を尊重していこう…。再び静かな心情を取り戻されたのです。気付いたら娘の衣類にアイロンをかけたり、衣類をバッグに詰める手伝いをしていた…というのです。それを見ていたS子さんは、呆れた表情で言ったそうです「娘の家出の手伝いをする親がどこにおるんね…」と。

 そう言って、夜半近くに荷物を持って出ていってしまいました。出ていく娘の後姿に、母親のMさんは「元気でやるんよ!毎日S子のことを祈ってるよ。そしてお母さんもいいお母さんになるように頑張るけんね。帰りたくなったらいつでも帰ってくるんよ」S子さんは振り返ることもなく出ていってしまいました。

 それから数か月の後、S子さんから予期せぬ電話がありました。電話口からS子さんの落ち着いた声が聞こえました。「今度は本当に帰るけんね。お母さんありがとう…」と。

 「待つ」ということはそんなに易しいことではありません。母親のMさんも心配で血を吐くような思いでした…と、述懐しておられました。

 厳しい大自然の中で生き抜いてきたアメリカインデイアンの部族につたわる“子育て四原則”のひとつに次の名言があります。

青年には目を離して心を離すな

 S子さんの母親は、まさにこの“立ち位置”を大切にされたのです。


*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

2020年の講座予定を公開中です☆    2020年 講座開講スケジュール

2020年8月20日木曜日

希望がある限り若く 失望と共に老いる

 2020年の講座予定を公開中です☆    2020年 講座開講スケジュール


希望がある限り若く 失望と共に老いる
サミュエル・ウルマン
Column 2020 No.87

冒頭のフレーズは次のウルマンの詩の一節です。

齢を重ねるだけでは人は老いない
理想を失うときに初めて老いがくる
人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
希望がある限り若く 失望と共に老いる


たとえいかなる逆境・悲運に遭おうとも、
希望だけは失ってはならぬ。朝の来ない夜はないのだから
吉川 英治

 多くの先哲が残した言葉の中に、「希望」が如何に生きる上での中枢となり、生きたい人生を創っていく上でのエネルギーとなっていくかが伝えられています。

 生きていく中で“…未来が見えない。どうやって生きていいかわからない…”と思えるような、絶望的な気持ちに襲われた体験は、誰の上にもあるのではないでしょうか。その時「希望」は、私たちをどれだけ勇気づけてくれたことでしょう。しかし生きる気合いや勢いが幾らかある間は、その“希望”も、自分の中で有効に働いてくれるのですが、全く未来が見えなくなったとき、“希望”と言う文字すら思い浮かばない状態になります。

 私の若い頃の体験ですが、重篤なうつ状態に陥り、暫く家に籠ったことがありました。病床から一歩も出られず、そうかと言って熟睡もできず、“希望”どころか生きることを辞めてしまうことへの憧憬の方がどんどん膨らんでいくのです。
 しかし生きることを諦めることだけはしたくないと、自分に言い聞かせながら、生きる希望を見い出すために必死で闘っていました。しかし闘えば闘うほど“希望”は遠く離れていきます…。しかし、結果的に言えば私は立ち上がったのです(コラムNo19)。つまり再び希望を見出したのです。

 深刻な鬱状態から立ち上がり、再び“希望”を見い出していくまでのプロセスを今一度整理してみることは、自分自身のためにも益となるのではないかと思い立ち、今回のコラムで纏めてみようと思いました。

☆ 怖れの蓋を思い切って取ってみる

 怖れの根深さは計り知れません。実は「挫折」には無意識の恐れ(人間関係の怖れ・自分自身の無価値感・罪悪感・将来への不安…等々)が複雑にからまっていて、その多くは、見ないふり、感じないふりをしてやり過ごしてきたことに気付きます。しかし深刻なうつ状態に至ると、有無を言わせず怖れの蓋はこじ開けられ、いやが上にもさまざまな怖れと対面しなくてはなりません。その怖れ・不安との精神的闘いは二度と体験はしたくないと思うほどつらいことでしたが、それは自分にとっては通らねばならない関門でもあったのです。

☆ どんなに苦しくても必ず立ちあがれる日が来る

 怖れと孤独感の泥沼の中で必死にもがいているときには…“立ち上がれる”なんて気持ちには全く及びもつかない心境でした。しかし自分の中の闇(恐怖・不安・罪悪感・無価値感)との壮絶な闘いの中で感じたことがあります。「まな板の上の鯉」と言う故事がありますが、辛さの極限を迎えたとき、‟もうなるようになれ!好きなようにしてください…”と、自分を守ることをすっかり辞め、何かに委ねた…と云うより、諦めてすべてを投げ出した時、ふっと言葉には言い表せない、安らぎのような感情に満たされたのです。それからも勿論、浮き沈みはありましたが、徐々に自分を取り戻していくスタート地点に立てたのです。

☆ 気持ちが伴なわくても、その気になって生きてみる

 それからも随分の時間が必要でしたが、よろよろと再び自分の人生を歩み始めたとき、私の中から来た答えは“自分の人生を取り戻すために、やり残してきたことをやろう”ということでした。しかし何をしたいのか…何が欲しいのか…何が食べたいのか…も、実は自分の中ではまったく不明確だったのです。でもある朝起きたときに「今日は美術館へ行ってみようかなあ。でも怖いなあ…」と思ったのです。でも勇気が出ない。布団の中で半日悶々としていました。でも思い切って行動してみたのです。でも周りばかりが気になって、心はちっとも喜ばない。でも諦めまいと思ったのです。気持ちは伴わないけれど、自分からくる答えで、瞬間瞬間その気になってしんどいけれど生きてみようと、その時決意したのです。

最初の一段を上りなさい。階段のすべては見えないでいい。
とにかく最初の一歩を踏み出すのです。
キング牧師

☆ 変化することをおそれず、大胆に生きる

 不思議ですが、人は挫折の極限を体験をすると、けっこう大胆に生きれるようになります。人生の崖っぷちに立った経験があるからでしょうか。恥もたっぷりかいたからでしょうか。少々のことは問題ではなくなるのです。勿論それからも幾らか紆余曲折はありましたが、私は再び希望を見出し、自分の流儀で徐々に生きれるようになったのです。変化することがなぜ怖かったのだろうと思うくらい変化することを受容できるようにもなってきました。

あなたの心に従っていきなさい。そうすれば最後にはきっとうまくいく
ボブ・デイラン

幸せになることに後ろめたさは要らない

 コラムNo19でも触れているように、私の母はあまり幸せな人ではなかったので、私の中にはなぜか、自分が幸せになることに根強いこだわり(罪悪感)がありました。だからかもしれません。1960年代を華やかに彩った“ビートルズ”のメイン・ヴォーカルを務めたジョン・レノンが残している言葉に、とても惹かれたのです。彼は短い生涯でしたが、幸せな人生だったに違いないと私には思えます。ジョン・レノンのように、“幸せこそが一番大切なのよ”と、親から学習した子どもは、幸せになることに決して後ろめたさは持たないことでしょう。その子のハートの中から「希望」という存在が、決して輝きを失うこともないでしょう…。

 僕が5歳の頃母は、幸せこそが人生で一番大切なのだといつも教えてくれた。
 学校で“大きくなったら何になりたいか書きなさい”と言われたので、
 僕は「幸せ」と書いた。みんなが“お前は課題を解かっていない!”
 と言ったので、僕は、“あんたらは人生が解かっていない‟と、答えた。


*次回のコラムは9月20日前後の予定です。

2020年の講座予定を公開中です☆    2020年 講座開講スケジュール