2022年2月20日日曜日

ありのままの自分で生きる

 ★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール


Column 2022 No.105

 「あなたらしくいなさい」「ありのままのあなたで」…というフレーズはよく見聞きしてきました。しかし解かったようで解からないのが“あなたらしく…”とか“ありのままで…”ではないでしょうか。

 これまで周りの人から「こんな考えをするところってあなたらしいわね」と言われたことが何度かありますが、正直とても戸惑いを覚えたものです。その感じ方が自分自身にも真実か否かがよく解からないのに、第三者に何が解かるの?という戸惑いです。

 若い頃、深刻なうつを患った時、自分のつらい気持ちを心ある幾らかの友人に相談をしたら、その友人の多くが「あなたのままでいいのよ」と返してきたことを思い出します。その瞬間は「ああそうか!私のままでいいんだ…」とほっとしたものですが、少し時間が経つと、“わたしのままって何だろう?”という疑問が湧いていたことも思い出されます。人生に迷っているとき、人は多く“自分軸”(ありのままの自分)からそれることで、自分自身を見失っているわけですから、“あなたのままでいいのよ”…という助言(正論)を頂いても具体的には理解できないわけです。

 これは今思うことですが、私が混乱をして自分を見失っていたとき、もしも相手の人が「苦しいねえ…。どう生きていっていいか分からなくなるほど混乱してるんだねえ。やりきれんねえ・・・」と、反応して下さっていたら、私はどんなに救われたことでしょう。ただただ私の苦しい気持ちを解かって共感を示して下さっただけで、「ああ。今すごく苦しいけれど、苦しんでいる私のそのまんまでいいんだな」と、心がくつろぎ、ありのままでいれる心地よさを実感できたと思うのです。

皺もシミも老いもひっくるめて、この世にあなたはたったひとり
ダフネ・セルフ

 そのたった一人の自分そのままを、いかに愛し赦していけるか。“ありのまま”の本質というものが、私の中で少しずつ明確になってきましたので、その自分でいられる為にできることを、私なりの気づきで纏めてみたいと思います。

☆ 自分の行動に対する価値判断に気づく

 自分の思考の動きを観察すると、他者と比べて自分はだめだと落ち込んだり、人を傷つけた・傷つけられたとかに捉われたり、私くらいの年齢になると“老い”を意識してふさぎ込んでみたり…と、ありのままどころか、私ではいけない、私では駄目だ・・・と、とても厳しいベクトルを自分に向けていることに気づきます。

 自分へのその価値判断に、まず気付くことが大切です。気づかないと生き直すことは難しいのです。人間をやっている以上、これらマイナス思考は当然なのです。だから、あるがままの今の自分をそのまま赦すのです。“他人と比べて自信を失っているんだねえ” “傷つけられたと思って凄く腹を立てているんだねえ” “老いを感じて愕然としているんだねえ”…等々。つまり価値判断をしている自分に気づき、いまの自分の実態に共感しながら、そのままの自分を見ていられる状態…これがあるがままでいる姿です。

☆ 自分の今の気持ちに正直にやりたいことをやる

人が笑おうが笑うまいが自分の歌を唄えばいいんだ
岡本 太郎

 自分の歌を唄えばいいんだ…と言われても、その頃の私には自分の歌が解からなかったのです。それに気づいた私は、“自分の歌を見つけよう”と決意したのです。「欲求の5段階説」を提唱した心理学者アブラハム・マズローは、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する存在」と述べ、間違っている・いない…はない。自分の心が赴くことを正直に生きていくうちに、無意識に自己実現へと向かい、次のステージへと自然に上がっていくのだ…と述べています。

 まず、他者のために見栄えのいい生き方をすることを本気でやめてみようと思いました。“自己実現”という目標にしっかり意識をおきながら、本当の自分を取り戻すために、自分の正直な気持ちを大切に、いま本当に食べたいものを食べ、着たいもの着て、行きたいと思うところに行き、逢いたいと思う人に逢い、やり損ねてきた“子ども染みた遊び”も思い切ってやってみました。時間はかかりましたが、そのうち、自分の歌が徐々に見えてきたのです。岡本氏が言う、誰に笑われてもいい“自分の歌”を下手ながら唄い始めたのです。

 するとあるがままの自分の実態がさらに明確になっていきました。その結果、「自分軸」が徐々に立ち上がり、やがてマズローの提唱する自己実現へと向かう高次の欲求が、少しずつ垣間見えてきました。私の人生に於ける真の目標(欲求)が見えてきたのです。私は、はっきりと気づいたのです。自分の本当の歌を見つける為には、今のあるがままをそっと赦しながら、何の罪悪感も持たないで自分がやりたいことや心が喜ぶことを、本気でやっていくこと。ここからが出発…私の体験からそれを確信したのでした。

 価値判断をやめ、あなたに来た“ひらめき”を大切にしてやりたいことをやり始めて下さい。自分から来た答え(欲求)はあなたにとってはまさに真実です。価値判断している間に大切なチャンスは逃げてしまいます。もちろん恥をかいたり失敗したり…はあるでしょう。しかし私たちは失敗から沢山のことを学びます。失敗は、魂の目覚めを促してくれます(コラムNo44)。どんな自分も赦し赦して自分をどんどん満たしてあげましょう。本当の自分を見つけるために、です。これまでも取り上げましたが、私が日課にしているアファメーションです。

どんな自分も無条件に愛します
どんな自分も無条件に赦します


*次回のコラムは2022年3月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

2022年1月20日木曜日

新しい目標をもったり新しい夢を見るのに、歳を取り過ぎたということはない

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

新しい目標をもったり新しい夢を見るのに
歳を取り過ぎたということはない
C・S・ルイス
Column 2022 No.104

 2022年!新しい年がやってきました。お正月は家族で「湯布院」で過ごしました。そこに向かう車窓から、輝かしい新年の朝日を浴びながら、冒頭のフレーズをしきりに思い出していました。

 新しい夢を見るのに歳を取り過ぎたということはない…というけれど、自分の身体の動きや想いの中に年齢を感じることが多くなって、それに気を取られて生きているな…階段の上り下り、文字の見えにくさ、大切な人の名前のど忘れ、物の置き忘れ…等々、ちょっと増えてきたかな…と。大切な私の人生に対する「夢」「目標」など…ちゃんと見つめているだろうか…と。

 フランスの医師であったアルベルト・シュバイツアーは言っています。「物事に関心が無くなったり、憧れ・熱意などを失いかけていることなどに…少しでも気づいたら病気の前触れだと考えなければならない。表面的に流されている生活に魂が苦しんでいるのだと、気付かなければならない」…と。そうかあ…知らず知らずに表面的な生活に流されたり、老いの想念の方に心が行ってしまっていたんだなあ。真の自分から逸れてしまっていることに魂が苦しんで、私にサインを送ってくれている状態だったのか…そうだったのか…と。

“ああそうだ!”と気づいたその時が、あなたのバースデー
中村 天風

 天風氏の “気づいたその時があなたの誕生日!” のフレーズは今の私の気持ちにぴったりと重なって、改めて新しい自分に生まれ変わろうと思いました。私たちは習い性のように、何事も昨日の続き…と思って生活をしていますが、実は人は誰でも瞬間瞬間、何かに気づきながら、新しい自分に生まれ変わっていくのだ…ということを忘れかけていた気がします。親業でも“気づき”は特に大切にしています。深い気づきを得た人は、確かにその瞬間から、新しいその人で生き始められるのを何度も見て感じてきました。

 さて、私たちは、一年の終わりに「忘年会」と名付けた飲み会をしますね。広辞苑によると、「その年にあった色々な苦労を忘れるために催す宴」とあります。その年にあったことをすべて水に流して、新しい気持ちで新年を迎えよう・・・というわけです。ちなみに「忘年会」は日本独自の文化のようです。素晴らしい日本文化だと思います。今年の私の年賀状にとりあげたフレーズは、たまたま次のフレーズです。

許すはよし 忘れるはなおよし
ロバート・ブラウニング

 ブラウニングが伝えたいこととは少し角度は違いますが、「忘れる」という能力は私たちに与えられた天からの恩寵に思います。生きてきたこれまでの苦しみ、後悔、他者への怨念…等々を、もし全部覚えていたとしたら、今を生き切ることはとても難しいでしょう。忘れることで、脳のスペースは広がって新しい新鮮な情報がどんどん受けとれる。“忘れる能力”…なかなかいいではないかと思えるのです。何だか言い訳っぽい感じがしないでもないですね(笑)

50過ぎたら「ま、いいか」「それがどうした」
「人それぞれ」でいこう
広兼 憲史

 50歳どころではない年齢を迎えましたが、やはり大共感のフレーズです。些細なことはどんどん忘れて、自分を大きく包んで赦し、他者と比べず、たえず自分に優しく優しくです。出来ないことに気を取られず、出来ること・心が喜ぶことを大切にして、わくわくと生きていこう。新しい夢を見たり、これまで温めてきた夢を実現したり、年齢を重ねることへの捉われを超えて、牛のように堂々とマイペースでやっていこう…と改めて決意した新年でした。

人が対決する相手は老化ではありません。真の相手は恐れです。
老化は恐れを蓄えるひとつの場所なのです
賢者の言葉

 このコラムの終わりに、松下幸之助氏が、ことあるごとにこの詩を愛唱し、ご自分を鼓舞していらしたという、サミュエル・ウルマンの「青春」の詩をご紹介します。

 齢を重ねるだけでは人は老いない
 理想を失う時に初めて老いが来る
    (中略)
 人は信念と共に若く 疑惑と共に老いる
 人は自信と共に若く 恐怖と共に老いる
 希望ある限り若く 失望と共に老いる


*次回のコラムは2022年2月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

2021年12月20日月曜日

あなたの同意がない限り、誰もあなたを下に見ることはできないのです

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

あなたの同意がない限り、誰もあなたを下に見ることはできないのです
エレノア・ルーズベルト

Column 2021 No.103

 このフレーズは、32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトの奥様で、婦人運動家で有名だった人の言葉です。
 職場でいじめに逢ってしまう人、いつも被害者意識で生きている人というのは、まさにこのフレーズが示しているように、いじめを受ける前に、また、誰々からこうされた…という前に、実は自分自身に“自分は駄目な人間だからいじめを受けて当たり前” “人に嫌われて当たり前”…と、どこかでそれを認めている、つまり、同意をしている…というわけです。もちろんこれは無意識の選択です。

 カウンセリングの場でもよく体験することですが、自分に価値を持っている子どもは、周りの子どもから「お前死ね~や!」(いじめる子がよく言う言葉です)と、万一言われたとしても“せっかく生まれてきたのに、なんで私が死ななきゃいけんの!”と当然跳ね返します。しかし、自分で自分に価値をおけない子どもは、言われて当然…と無意識に同意していますから、その言葉を真正面から受け入れてしまいます。“価値がない自分は死んでもいいのかも…”というふうに。

あなたはあなたであればいい
マザー・テレサ

 子どもの自己価値感を育て直していくという作業はとても大変ではありますが、しかしそれは一生の宝となります。自己価値感が再構築されると、再びいじめに逢うことはありません。いじめを受け入れることに同意しなくなるからです。しかし、子どもが自分自身に価値を持てるようになるためには、まずは私たち大人が自分の人生を大切に生き、どれだけ自分に価値をおいて生きているか…が問われます。そして“見栄えのいい子どもに”…という世間軸を脱却し、“自分のペースを大切にして、ゆっくり成長していいのよ” “あなたはあなたでいいのよ”と伝えてあげることから出発です。(コラムNo58

 子どもは子どもらしく生きる権利があります。試行錯誤をする権利があります。失敗をする権利も、落ち込む権利も、這い上がる権利もあります。それこそが子どもの人生としての体感であり実感です。その体感・実感が赦されることで、初めて自分の人生が、心と身体で実感でき、それが生きる自信となって、その子なりの生き方のスタイルを作っていけるのです。

壁は自分自身だ
岡本 太郎

 “私は駄目だ。私であってはいけない”と誰よりも思っているのはあなた自身なのです。自分の思い込みが、私たちの壁となっていることに気づいて、自分自身を見直していきたいものです。

自分はこんな人間であるという思い込みが現在のあなたを作っている
池上 彰

 この思い込み(同意)は、知らず知らずに自分の生き方を決定しています。私たちは今の瞬間をどんな意識状態で生きているでしょうか。自分の心・自分の想念の多くを、何に費やしているでしょうか。一番大切な「自分軸」から離れて他人軸に向かい、他の人の動向や評価を気にしたり、他者と比較して自分の無価値感と闘ったり…と言ったような想念で、多くの時間を費やしてはいないでしょうか。怖いことですが、その無意識の想念が私たちの人生を創造していくのです。

 まず、瞬間瞬間、自分自身の想念のあり方に気づき、無意識の思い癖に気づくことがとても大切です。他人軸から自分軸に向け直すこと。今、自分はどう感じているのか、どうしたいと思っているのか、いま何がやりたいのか、その都度、明確にしていく。思考のあり方はその人にとっては長年にわたり馴染んでしまっている習慣ですから、まず気付くことからが始まりです。だから訓練が要ります。私もまだ修行中ですが、とても大切なポイントであり、それが自分を愛するということだと感じています。

 自分を愛する…ということは、自分に正直になるということです。自分から来た答えを尊重し、本当にやりたいことをやり始めることです。誰にも気兼ねをすることなく朝寝坊したり、休暇を楽しんだりジムに行ったり、新しい服や靴を買ったり、もっともっと正直に自分の心が喜ぶことをやってあげること・・・それは本当の自分を見つける為の大切な第一段階です。自分軸を強く太くする為に大切な一歩なのです。やり続けていくに従って自分の人生の目的が見えてきます。そしてやがては他者と比べない自尊心・自己価値感が再構築されていくのです。

 まずは私たち大人が“ありのままの自分・素(す)の自分で生きていいのだ”と自分自身に同意できたとき、初めて内外一致で、子どもたちにその心を伝えることができるでしょう。

あなたの尊厳は、自ら放棄しない限り、
誰も奪うことはできないのです
マイケル・J・フォックス

*次回のコラムは2022年1月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

2021年11月20日土曜日

迷った時には自分の心が温かいと感じるほうを選びなさい

 ★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

Column 2021 No.102

 このフレーズは、日本で3人目に認められた全盲の弁護士、大胡田 誠 氏が司法試験に何度か失敗して、受験をこのまま続けるべきかどうかを深刻に迷っているとき、大胡田氏の母堂が彼に伝えた言葉です。“あなたが一番答えを知っているのよ。あなたの感度を信頼して決めなさい”…と伝えたかったのだと思います。“心が温かいと感じるほうを…”と示唆した母堂の感性の豊かさに心打たれました。頭で判断するよりも、自分の心で感じた方が自分にとっての真実が見える…ということを理解している人なのでしょう。

 私たちにもなかったでしょうか。理屈で考えて当然の選択をしたと思っているのに、なぜか気持ちがざわつく…。そんなとき、本当はどうしたいの?…と再びハートに訊くと、本当はこうしたい…と答えがきて、選択し直すと「そうそう!これこれ!」と、気持ちがすっと落ち着く。こんな経験はないでしょうか。

いちばん大切なことは 自分自身の心の声や直観に従う勇気をもつことです
スティーブ・ジョブズ

 私の祖父は、自分の気持ちを何よりも大切にすることを、心を込めて私に伝えてくれました。自分の胸に手を当てて「答えはすべてここにあるんだよ。決して外には無いんだ…」(コラムNo85)と。“答えはすべて自分の中にある…”その感じ方が徐々に腑に落ちてきた私は、道に迷った時には自分の感度を信頼して、自分からくる答えを待ちました。すると必ず答えは来ました。充分自信があるわけではないけれど、正直に自分の答えに従って生きてみました。もちろん思い通りに起動するばかりではありませんでしたが、自分が選択した答えだから、いつも生きている実感がありましたし、失敗から学ぶこともできました。

 古(いにしえ)から人間には五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)以外に“第六感”という動物的勘がある…と言われています。何の脈絡もなく心がざわつくので急いで帰宅してみたら親が倒れていて助けることができた…。何となく乗る気にならなかった飛行機が墜落して命拾いした…。いわゆる“虫の知らせ”“予知力”“気配”…のような表現をされる能力です。これらは人間に本来備わっている能力で、直感を信頼して生きている人は、特にその能力は高いと思われます。

 “第六感”は動物勘と言われるだけに、ある動物にみられる秀でた勘には驚かされます。目的地に向かって迷わず空を飛ぶ渡り鳥。地震の直前に騒ぎ立てる動物や魚類。地磁気の異常や電磁波を感知できることがその要因のようですが、私たち人間にもその感度はある筈ですが、いつの間にか鈍ってしまいました。

 以前のコラムにも書きましたが、自分の心や感情を無視しつづけると、感度はどんどん鈍り、その声はやがて聞こえなくなってしまいます。そうやって一人ひとりに与えられている天与の能力である大切な「勘」や「感度」を私たちは封印してしまったのです。

たいていの人は、本当は自分が何が欲しいのか心の中で分かっています。
人生の目標を教えてくれるのはその直感だけ。
ただそれに心と耳を傾けない人が多すぎるのです
バーバラ・ブラハム

 自身の感性への信頼がベースにあってこそ真の自立です。私たちが自分の感性をもう一度取り戻して(封印を解いて)それに信頼を置くようになったら、マスメディアや周りからの情報を、ただ鵜呑みにはしないでしょう。一人ひとりの中にある感性を信頼し始めると、ものごとの真実が見えはじめてくるからです。すべての人の中にそれが起動し始めると、世界を席巻したコロナも真の終息を見せるでしょうし、政治も経済も健全な秩序をもって整っていくことでしょう。現実を変えることは並大抵ではありません。しかし人類一人ひとりのこうした意識の変革、つまり真の自立こそが大きく社会を変えていくエネルギーとなるのです。

直感とは“自分の内より教えられる”ということです
ジョセフ・マーフィー

 「自己実現」へのプロセス(欲求段階)を唱えた米国の心理学者アブラハム・マズローは “人は一人残らず、内面奥深くに高次の自分を持っていて、無意識だが、それに統合するべき自己実現を目指して、一つひとつの階段をあがっているのだ”…と説いています。私たち一人ひとりの中にあるその高次の自分は、すべての答えを持っている…ということを、私たちは無意識レベルで知っているのです。だから私たちはそこに統合すべく、自己実現を目指して真摯に生きている存在なのです。

 学ぶことは本当に大切ですが、答えはすべて外にあると思っていると、どんどん自分軸から逸れ、感度は鈍り、真実の自分から離れていきます。マーフィーが言うように“自分の内面”に尋ねれば、その答えは必ず来るのです。今起っている問題を本当はどうしたいのか。一度しかない自分の人生において本当は何がやりたいのか…。

 自分からくる答を生きてみることは、高次の自分に一歩一歩近づいていくためのとても大切な訓練です。またそれが「自己実現」に向かう重要な要素(ポイント)でもあるのです。多くの先達・識者…はそれらのことを知っており、答えを外にばかり求めることを警告し、自身の感性を取り戻すことの重要性を唱えています。

あなたが目的地なのに なぜ旅を続けるのですか
賢者のことば

*次回のコラムは2021年12月20日前後の予定です。

★★2022年の講座予定を公開しました★★    2022年 講座開講スケジュール

2021年10月20日水曜日

人生に、後退はない

★2021年の講座予定を公開中です★    2021年 講座開講スケジュール


人生に、後退はない。
あなたの人生で起ることはすべて、
あなたをゴールへと進ませている
Column 2021 No.101

 米国のミュージシャン(故)ボブ・ディランの言葉です。私の好きな言葉です。人生には確かに後退はあります。しかし人はすべて、決してそこに留まってはいないのです。その後退があったからこそ、そこで生きて感じて、自分なりに気づいたその答えが叡知となるのです。そこで再び立ち上がり、さらにもう一歩進化して自分のゴール地点へと向かっていきます。だから決して人生には後退はないのです。

 私は過去に心を病んだ挫折体験があります。家の中に籠り、何か月も自分の魂と闘い続けた苦しい体験がありました。生きることを辞めてしまいたいと思うほどの耐えがたい苦悶の日々でした。しかしある日、立ち上がったのです。そしてそのとき私の中から、“もう他者の為だけに生きるのは辞めよう。自分の気持ちに正直に生きていこう…”という答えが、閃きのように降りてきたのです。その時の感慨を今もありありと思い出します。

 私はその経験により、人はこのように大きく後戻りしながらも、ゴールに向かって進んで行こうとしているたくましい存在なのだ…ということを学んだのです。アメリカの心理学者アブラハム・マズロー(1908~1970)も、“人間は自己実現に向かって絶えず成長しようとしている勇敢な存在なのだ”…と述べています。

くさらない おごらない 屈しない
村上 和雄

 しかし、思い通りにいかなかったら、ついくさったり、ひがんだり…、逆にうまくいっていると、つい気持ちがおごってしまったり…、自分の心は実に簡単に変容を見せます。しかし、その気変わり心変りの中でも、決して自分軸を見失わず、自分の気持ちに気づいていくことが大切なのだと思います。後はそれを愛し赦して、必ずゴール地点に向かっているのだからと、自分を励ましながら、真摯に自分と付き合っていきたい…と思っています。

私は失望などしない。なぜならどんな失敗でも
必ず次の前進への新たな一歩となるのだから
トーマス・エジソン

 失敗は回り道かもしれませんが、決して行き止まりではないのですね。失敗は痛いけれど必ず学びがある。エジソンは何度失敗しても決して諦めることなく「もういっぺん!」「もういっぺん!」と、挑戦したのです。彼は言っています。“失敗などしていない。1万回うまくいかない方法を見つけ出しただけだ”…と。そしてやがて人類に大きく貢献する発明を成し遂げたのです。

もっと遠く飛ぶための後退
ユング

 陸上・体操競技を見ても解ります。しっかり後退して助走をつけないといい結果は出せません。だから私も物事が思い通りに行かないときも、失敗したときも、間違いをおかした時も、暫くは塞いで自分と苦しい闘いをしますが、そんなときこそ決して自分から逃げない。それは大きくジャンプするための、助走のひとときだと信じて生きています。

 カウンセリングの場で、不登校の子ども達やお母さん方に沢山お会いしてきましたが、子ども達はみんな必ず立ち上がっていきます。そしてそれを体験した多くの子ども達は言います。「不登校したことに後悔はない。不登校したからこそ今がある」…と。 自分のまわりに起ることで無駄なことは、何ひとつないのです。失敗・後退を含めてすべての出来事が、その人の魂の進化にとって、一つひとつが大切な布石となっていくのですね。

道草は自己実現の王道である
河合 隼雄

 子どもが何もしないでぼんやりしているひとときや、親から見れば何の意味もないことに没頭していたり、無気力だったり、反抗したり、心配な友達と付き合ったり…これもみんな立派な道草です。実は見失ってしまった本当の自分を見つけるための回り道をしているのですね。自分の魂にとって、いま何が必要なことかが私たちは本能的に解かっているのです。マズローも言います。“人は自分にとって情報が足りないものを満たそうとします。また満たす必要があるのです。正直にそれら欲求を満たすことで、今まで見えなかった何かが見え、そこで感じて気付いて、人は必ず次のステージへと上がっていくのです”…と。

過去のどんな素晴らしいあなたよりも、如何なる今であろうと、
自分史上、今日のあなたが一番進化しているのです
賢者のことば

*次回のコラムは2021年11月20日前後の予定です。

★2021年の講座予定を公開中です★    2021年 講座開講スケジュール

2021年9月20日月曜日

まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである

★2021年の講座予定を公開中です★    2021年 講座開講スケジュール


まわりに起き湧く現象はすべてニュートラルである
賢者のことば
Column 2021 No.100

 デール・カーネギーも同じことを言っています。

人生においてすべての事柄は、プラスでもマイナスでもなくニュートラル。
良くも悪くもなく「中立」です。
見方を変え思考の癖を変えれば、世界はもっと広がるはずだ

 “まわりに起き湧く現象はすべてニュートラル(中立)である”…というフレーズに初めて出逢ったとき、私は本当の意味がよく掴めませんでした。“良くも悪くもなくすべて中立”ということが理解できなかったのです。不正を働く人、暴言暴力で人を傷つける人、子育てにおける親の無関心・虐待…等々、どう考えてもその事象が中立…とは思えない。絶対に悪いこと!…と、思っていたのです。

 私の専門は一応子育て分野なので、子どもへの“虐待や放任”をテーマに、私の友人たちと感じていることを話し合ったことがあります。ある人は「信じられない。いけないことに決まっているでしょう!」…しばらく色々な考え方捉え方が交錯していましたが、徐々に、「子どもに無関心な親になってしまったのは、その親自身が自分の親に放っておかれたからだと思う」とか、「子どもを虐待している人を間接的に知っているけれど、虐待する人もひどい虐待を受けて育っているみたいよ」…と、色々な話題に広がっていきました。

 そのとき輪の中のDさんが「虐待なんて絶対いけないこと!…と決めつけていたけれど、その人の身になると、第三者がいい・悪いは決めつけられないよね…」と話し、仲間全員が「本当にそうだよね」と共感し合ったものです。

 こうした体験により私の中で「中立」という意味が徐々に明確になっていきました。親業の講座では、子どもの行動を価値判断しないで事実だけを見る…ということを大切にしています。例えば子どもが“玄関にランドセルを置いたまま、遊びに出掛けた”とします。「ランドセルが玄関に置いてある」という事実だけがそこにある…ということです。つまり、その状況はニュートラル(中立)で、意味など全くないのです。

 その行動をみて、お母さんAさんは「遊びに行ったのね。なんと元気で素敵な子!」と見ます。お母さんのBさんは「ランドセルはすぐに自分の部屋にもっていくべきよね!」と見ます。お母さんCさんは「宿題もしないで遊びに行くなんて!」と見ます。その人その人が持っている信念や観念で、その事実の行動に意味づけを与えただけなのです。

 私たちは誰でも生きる上での信念・観念を持っています。私はそれを“その人がもっている人生の定義”と表現しています。ある人が“人生は思うようにはならないものだ”という定義をもっているとします。その結果、本来「中立」に存在している筈の人生に“人生とは思うようにならないもの”という定義が起動し、無意識に難しいものごとを引き寄せていくのです。

あなたは世界に与えたものを受けとるのです
ポール・フェリーニ

 私たちが“人生の創造者”と言われる所以です。自分の人生や世界に与えた観念・定義の結果を、私たちは受け取っているのです。もし今、あなたの人生が、自分にとって満足いくものでないとしたら、あなたが与えているあなたの人生への定義に気づき、洗い直してみる価値があります。それではその観念・定義を手放したいと思った時どうしたらいいのでしょう。

観念のパワーをなくすために特別なことをする必要はないのです。
自分が持っている観念に気づくやいなや
その観念は力をなくして中立・ニュートラルなものになるのです。
ただそれに気づきさえすればいいのです。
賢者のことば

 私の経験でも、例えば“この観念は要らない!消えていって!”というふうに接すると、信念・観念はとても手強く、執着して居座ろうとしますが、“私は自分の人生に与えている定義に気づいたわ!気づかせてくれて有難う”と、ゆったりその中にいると、いつの間にかその観念が静かに去っていくのを感じます。…というよりも、おそらく去ったのではなく“気づいたのだから、消えていってもいかなくてもOK…”といった、無意識にニュートラルな位置に立ち、それに圧倒されなくなった状態と言えるでしょう。

愛はいつでもいかなる二極性をも超越する。
愛は決してどちらにも与(くみ)しない
ポール・フェリーニ

 “合っている・合っていない”“正しい・正しくない”“ポジテイブがいい・ネガテイブは悪い”…等々、いわゆる二極性の捉え方も、私たちの先入観や思い込みから来ています。自分の見方のバイアスを認識し、ゆったりと双方の存在を赦して見ていると、自然にニュートラルな位置に立っていることに気づきます。

“頑張れ!”という優しさも“
頑張らなくていいんだよ”という優しさも、
私は両方を学んだ
小林 麻央

 小林さんに助言したAさんは“人生頑張れば結果が出るよ…”という定義を持ち、Bさんは“人生頑張らなくても何とかなるものよ…”といった定義を持った人なのでしょう。小林さんはどちらが正解?…という見方ではなく、どちらからも学んだ…という、ニュートラルな“立ち位置”に立っていることが解ります。

*次回のコラムは10月20日前後の予定です。

★2021年の講座予定を公開中です★    2021年 講座開講スケジュール 

2021年8月20日金曜日

心の虚しさを抱き容れる

★2021年の講座予定を公開中です★    2021年 講座開講スケジュール

Column 2021 No.99

 表情が見えないマスクの群れ、呼吸が感じられないオンラインでのやり取り、和気あいあいと飲み合うことも久しくご無沙汰。心待ちにしていた友人とのランチも「どうぞ黙食で」とある。これをそのまま守っていたら、人と人とはいったいどこで繋がれるのだろう。

 心配な状況を挙げればきりがありません。まさに寒々とした時世です。このような不確かな世の中にあって、自分を見失わず、凛として生きていくために、一体私たちには何ができるのでしょうか。この不安な流れは当分収まることは見込めないし、誰に期待することもできません。

 今回のテーマはコロナで浮上した私たちの心の中にある「虚しさ」について考えてみたいと思います。私も時折訪れるこの虚しさを持て余すひとときがあります。何だか虚しい。何だかつまらない…と。私たち一人ひとりが、この虚しさといかにつき合い、心穏やかに生きる喜びを失わないで生きていくのか…は、特にいま大切な課題であるような気が致します。

 カウンセリングの場での体験です。生きる虚しさを感じている人々は、自分のハート辺りに空洞を感じると表現する人があります。固まりがあるという人もあります。そして無意識にこの空洞を埋める為に、アルコールに依存したり、誰かに愛されていることで、虚しさを忘れたいと恋愛に依存したり、働き続けることで自分の中の虚しさから逃れたいと仕事に依存したり…。依存の形には色々ありますが、虚しさを忘れたい、虚しさから逃れたいという心理だと言われています。多かれ少なかれ誰にもあるもので、無意識の穴埋め作業です。しかし何かに依存することで虚しさを埋めることは、多くの場合は難しいでしょう。

人生の答えなんて考えてわかるもんじゃない。ただその時その時を
ぎりぎり生きている奴だけにその答えは見えてくるんじゃないだろうか
藤本 義一

 その通りだと思います。彼が言うように頭で考えても答えはやっては来ません。落ち込んだままでいい、虚しいままでいい。とにかくわけがわからないままでいいから、何か行動を起こすこと。無心に行動をしているうちに、いつのまにかエネルギーが動き始める…という体験を私もしています。“何でもいい。行動をしてみること”は虚しさの対処法のひとつだと思います。

悩まない人があったとしたら、
それはもしかしたら人生じゃないかもしれない
伊集院 静

 人生は幸せであるべき、幸せであらねばならない…と、私たちはどこかで“幸せこそが人生!”といったような定義をもっていないでしょうか。このような理想を掲げることが、満たされない感覚、慢性的な不満足感の中に漂ってしまう原因になっているような気がします。人生には色々なことが起きてきます。仕事で挫折することもあれば、人間関係で挫折することもいっぱいあります。“人生幸せであるべき”といった過剰な期待が、実は虚しさや不安を増幅させてしまっているかもしれません。

 私たちは確かに人生を楽しむために生まれてきたのだと思います。そして自己実現を最終目的として生まれてきているのだと思います。その目的に向かうために、私たちの魂は、歓びの感情も悲しみの感情も、怒りの感情も憎しみの感情も、虚しさの感情も、体験して味わって気付いて、魂に落とし込んで、そして生きる智慧にしたい。つまり人生を深く生きて、自己実現に向かいたいと願っているからこそ、色々困難な人生をも無意識に引き寄せて体験し、学ぼうとしているのだと思います(コラムNo15)。私たち人間は想像以上に、忍耐と踏ん張りをもって、自己実現に向かって生きている勇気ある存在なのです。

 いま高齢者を襲う虚しさが論じられています。確かに老いるということは、人生の四苦と言われる「生老病死」すべてが関わってくるわけですから当然と言えるでしょう。若い時には理解できない深刻な虚しさの中で、しかも疾病・貧困・孤独と闘いながら、残された人生で自分は何ができるのだろう。自分に何が求められているのだろう…その問いに真剣に対峙している高齢者は多いと思います。

 私自身もその年齢の域に入り、ときに襲い来る虚しさと闘いながら「残された人生で何ができるか」を真剣に求めています。そして日々このような気持ちを大切に生きていこうと思っています。

*生きるということは当然“虚しさと共歩き”なのだと抱き容れる
*新しい体験を興味津々で迎え、今日の日を私なりに思い切り楽しむ
*無理をしないで一日一日を、とにかく感じて、そして生き切る
*社会とのつながりを、何かの形で保ち続ける
*“自分軸”をいつも意識して、決して情報に振り回されない
*周りに過剰な期待はしない。そして決して人生を諦めない
*どんな状況にあっても自分を“無条件に赦して” “無条件に愛して”生きる
*見えない大いなる世界、サムシング・グレート*をさらに理解して、生活の中に生かして生きる(* “サムシング・グレート”は、遺伝子オンの生き方で有名な分子生物学者 故 村上和雄氏の造語)

幸せの中で生きている人は、どの人も、大きな力とのつながりを
感じていて、生きていることの感謝と驚きと人智を超えた力への
畏敬の念を持っていることが共通しています
マーシー・シャイモフ

 山下義一氏の「109歳 私の幸福論」を読みました。山下氏は111歳でご逝去。周りに甘えず、自分のできることをして、命尽きるまで社会に貢献した人です。

いつまでたっても何歳になっても「われは咲くなり」の気分です。
現在109歳になりますがその気持ちはかわりません
山下 義一

*次回のコラムは2021年9月20日前後の予定です。

★2021年の講座予定を公開中です★    2021年 講座開講スケジュール